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德川家忠 2005-10-15 22:04

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  訓読万葉集 巻1 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―

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巻第一ひとまきにあたるまき


雑歌くさぐさのうた


泊瀬はつせの朝倉の宮に天あめの下しろしめしし天皇すめらみことの代みよ


天皇のみよみませる御製歌おほみうた

0001 籠こもよ み籠\持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ち
   この丘に 菜摘ます子 家告のらせ 名のらさね
   そらみつ 大和の国は おしなべて 吾あれこそ居れ
   しきなべて 吾あれこそ座ませ 吾あをこそ 夫せとは告らめ* 家をも名をも



高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代


天皇の香具山に登りまして望国くにみしたまへる時にみよみませる御製歌おほみうた

0002 大和には 群山むらやまあれど とりよろふ 天あめの香具山
   登り立ち 国見をすれば 国原は 煙けぶり立ち立つ
   海原は 鴎かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島あきつしま 大和の国は



天皇の宇智の野ぬ*に遊猟みかりしたまへる時、中皇命なかちひめみこの間人連老はしひとのむらじおゆをして献らせたまふ歌

0003 やすみしし 我が大王おほきみの 朝あしたには 取り撫でたまひ
   夕へには い倚より立たしし み執とらしの 梓の弓の
   鳴弭なりはずの* 音すなり 朝猟あさがりに 今立たすらし
   夕猟ゆふがりに 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 鳴弭の*音すなり

反かへし歌

0004 玉きはる宇智の大野に馬並なめて朝踏ますらむその草深野



讃岐国安益郡あやのこほりに幸いでませる時、軍王いくさのおほきみの山を見てよみたまへる歌

0005 霞立つ 長き春日はるひの 暮れにける 別わきも知らず
   むらきもの 心を痛み 鵺子鳥ぬえことり うら嘆なげ居をれば
   玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大王おほきみの
   行幸いでましの 山越しの風の 独り居をる 吾あが衣手ころもてに
   朝宵に 還らひぬれば 大夫ますらをと 思へる我あれも
   草枕 旅にしあれば 思ひ遣やる たづきを知らに
   綱の浦の* 海人処女あまをとめらが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾あが下情したごころ

反し歌

0006 山越しの風を時じみ寝ぬる夜おちず家なる妹を懸けて偲しぬひつ

右、日本書紀ヲ検カムガフルニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。亦軍王ハ詳ツマビラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ斑鳩イカルガ比米シメ二ノ鳥、大ニ集マレリ。時ニ勅ミコトノリシテ多ク稲穂ヲ掛ケテ之ヲ養ヒタマフ。乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑ケダシ此便ヨリ幸セルカ。



明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代


額田王の歌

0007 秋の野のみ草苅り葺き宿れりし宇治の宮処みやこの仮廬かりいほし思ほゆ

右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検カムガフルニ曰ク、書ニ曰ク、戊申ノ年比良ノ宮ニ幸ス大御歌ナリ。但シ紀ニ曰ク、五年春正月己卯ノ朔ノ辛巳、天皇、紀ノ温湯ヨリ至リマス。三月戊寅ノ朔、天皇吉野ノ宮ニ幸シテ肆宴ス。庚辰、天皇近江ノ平浦ニ幸ス。



後の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代


額田王の歌

0008 熟田津にきたづに船ふな乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎてな\n
右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、飛鳥ノ岡本宮ニ御宇シシ天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳ノ朔ノ壬午、天皇太后、伊豫ノ湯ノ宮ニ幸ス。後ノ岡本宮ニ馭宇シシ天皇七年辛酉ノ春正月丁酉ノ朔ノ壬寅、御船西ニ征キテ、始メテ海路ニ就ク。庚戌、御船伊豫ノ熟田津ノ石湯行宮ニ泊ツ。天皇、昔日ヨリ猶存レル物ヲ御覧シ、当時忽チ感愛ノ情ヲ起シタマヒキ。所以因ソヱニ歌詠ヲ製マシテ為ニ哀傷シミタマフ。即チ此ノ歌ハ天皇ノ御製ナリ。但額田王ノ歌ハ、別コトニ四首有リ。



紀の温泉ゆに幸せる時、額田王のよみたまへる歌

0009 三諸みもろの山見つつゆけ*我が背子がい立たしけむ厳橿いつかしが本



中皇命の紀の温泉に徃いませる時の御歌


0010 君が代も我が代も知らむ磐代いはしろの岡の草根をいざ結びてな

0011 我が背子は仮廬作らす草かや無くば小松が下もとの草かやを苅らさね

0012 吾あが欲りし子島こしまは見しを底深き阿胡根あこねの浦の玉ぞ拾ひりはぬ

右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検カムガフルニ曰ク、天皇ノ御製歌ト云ヘリ。



中大兄なかちおほえの三山みつやまの御歌

0013 香具山は 畝傍うねびを善えし*と 耳成みみなしと 相争ひき
   神代より かくなるらし 古昔いにしへも しかなれこそ
   現身うつせみも 嬬つまを 争ふらしき

反し歌

0014 香具山と耳成山と戦あひし時立ちて見に来こし印南いなみ国原

0015 綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜つくよきよく照りこそ

右ノ一首ノ歌、今案カムガフルニ反歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ歌ヲ以テ反歌ニ載セタリ。故レ今猶此ノ次ニ載ス。亦紀ニ曰ク、天豊財重日足姫天皇ノ先ノ四年乙巳、天皇ヲ立テテ皇太子ト為ス。



近江の大津の宮に天の下しろしめしし天皇の代


天皇の内大臣うちのおほまへつきみ藤原朝臣に詔みことのりして、春山の万花はなの艶いろ、秋山の千葉もみちの彩にほひを競憐あらそはしめたまふ時、額田王の歌を以もちて判ことはりたまへるその歌

0016 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
   咲かざりし 花も咲けれど 山を茂しみ 入りても聴かず
   草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては
   黄葉もみつをば 取りてそ偲しぬふ 青きをば 置きてそ嘆く
   そこし怜たぬし* 秋山吾あれは



額田王の近江国に下りたまへる時よみたまへる歌

0017 味酒うまさけ 三輪の山 青丹あをによし 奈良の山の
   山の際まゆ い隠るまて 道の隈くま い積もるまてに
   つばらかに 見つつ行かむを しばしばも 見放さかむ山を
   心なく 雲の 隠さふべしや

反し歌

0018 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや

右ノ二首ノ歌、山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、近江国ニ都ヲ遷ス時、三輪山ヲ御覧シテ御歌ヨミマセリ。日本書紀ニ曰ク、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、近江ニ都ヲ遷ス。



井戸王ゐとのおほきみの即ち和こたへたまへる歌

0019 綜麻形へそがたの林の岬さきのさ野榛ぬはりの衣に付くなす目につく我が夫せ

右ノ一首ノ歌、今按フニ和スル歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ次ニ載セタリ。故レ以テ猶載ス。



天皇の蒲生野かまふぬに遊猟みかりしたまへる時、額田王のよみたまへる歌

0020 茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる



皇太子ひつぎのみこの答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇

0021 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾あれ恋ひめやも

紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。



明日香の清御原きよみはらの宮に天の下しろしめしし天皇の代


十市皇女とほちのひめみこの伊勢の神宮おほみがみのみやに参赴まゐでたまへる時、波多の横山の巌いはほを見て、吹黄刀自ふきのとじがよめる歌

0022 河の上へのゆつ磐群に草むさず常にもがもな常処女とこをとめにて

吹黄刀自ハ詳ラカナラズ。但シ紀ニ曰ク、天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、伊勢神宮ニ参赴タマヘリ。



麻續王をみのおほきみの伊勢国伊良虞いらごの島に流はなたへたまひし時、時よの人の哀傷かなしみよめる歌

0023 打麻うつそを麻續の王海人なれや伊良虞が島の玉藻苅ります



麻續王のこの歌を聞かして感傷かなしみ和へたまへる歌

0024 うつせみの命を惜しみ波に湿ひで伊良虞の島の玉藻苅り食はむ

右、日本紀ヲ案フルニ曰ク、天皇四年乙亥夏四月戊戌ノ朔乙卯、三品麻續王、罪有リテ因幡ニ流サレタマフ。一子ハ伊豆ノ島ニ流サレタマフ。一子ハ血鹿ノ島ニ流サレタマフ。是ニ伊勢国伊良虞ノ島ニ配スト云フハ、若疑後ノ人歌辞ニ縁リテ誤記セルカ。



天皇のみよみませる御製歌おほみうた

0025 み吉野の 耳我みかねの嶺たけ*に 時なくそ 雪は降りける
   間ま無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと
   その雨の 間なきがごと 隈くまもおちず 思ひつつぞ来る その山道を

或ル本マキノ歌、

 0026 み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ
    間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと
    その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を

右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。



天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌おほみうた

0027 淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見

紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。



藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代


天皇のみよみませる御製歌おほみうた

0028 春過ぎて夏来るらし白布しろたへの衣乾したり天の香具山



近江の荒れたる都を過ゆく時、柿本朝臣人麿がよめる歌

0029 玉たすき 畝傍うねびの山の 橿原の ひしりの御代よ
   生あれましし 神のことごと 樛つがの木の いや継ぎ嗣ぎに
   天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて
   青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか
   天離あまざかる 夷ひなにはあらねど* 石走いはばしる 淡海あふみの国の
   楽浪ささなみの 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ
   天皇すめろぎの 神の命みことの 大宮は ここと聞けども
   大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧きれる
   夏草か 繁くなりぬる ももしきの 大宮処おほみやどころ 見れば悲しも

反し歌

0030 楽浪の志賀の辛崎からさき幸さきくあれど大宮人ひとの船待ちかねつ

0031 楽浪の志賀の大曲おほわだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも



高市連黒人たけちのむらじくろひとが近江の堵みやこの旧あれたるを感傷しみよめる歌\n
0032 古の人に我あれや楽浪の古き都を見れば悲しき

0033 楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも



紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌みうた 或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作

0034 白波の浜松が枝の手向たむけぐさ幾代まてにか年の経ぬらむ

日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。



勢せの山を越えたまふ時、阿閇皇女あべのひめみこのよみませる御歌

0035 これやこの大和にしては我あが恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山



吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌

0036 やすみしし 我が大王おほきみの きこしをす 天の下に
   国はしも 多さはにあれども 山川の 清き河内かふちと
   御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
   宮柱 太敷き座ませば ももしきの 大宮人は
   船並なめて 朝川渡り 舟競ふなきほひ 夕川渡る
   この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
   落ち激たぎつ 滝の宮処みやこは 見れど飽かぬかも

反し歌

0037 見れど飽かぬ吉野の川の常滑とこなめの絶ゆることなくまた還り見む

0038 やすみしし 我が大王おほきみ 神かむながら 神さびせすと
   吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座まして
   登り立ち 国見をすれば 畳たたな著づく 青垣山
   山神やまつみの 奉まつる御調みつきと
   春へは 花かざし持ち 秋立てば もみち葉ばかざし
   ゆふ川の 神も* 大御食おほみけに 仕へ奉まつると
   上かみつ瀬に 鵜川を立て 下しもつ瀬に 小網さでさし渡し
   山川も 依りて仕つかふる 神の御代みよかも

反し歌

0039 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも

右、日本紀ニ曰ク、三年己丑正月、天皇吉野宮ニ幸ス。八月、吉野宮ニ幸ス。四年庚寅二月、吉野宮ニ幸ス。五月、吉野宮ニ幸ス。五年辛卯正月、吉野宮ニ幸ス。四月、吉野宮ニ幸セリトイヘリ。何月ノ従駕ニテ作ル歌ナルコトヲ詳ラカニ知ラズ。



伊勢国に幸せる時の歌

0040 嗚呼児あごの浦に船ふな乗りすらむ乙女らが珠裳の裾に潮満つらむか\n
0041 釵くしろ纏まく答志たふしの崎に今もかも大宮人の玉藻苅るらむ

0042 潮騒に伊良虞の島辺へ榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻しまみを\n
右の三首みうたは、柿本朝臣人麿が京みやこに留りてよめる。

0043 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠なばりの山を今日か越ゆらむ

右の一首ひとうたは、當麻真人麻呂たぎまのまひとまろが妻め。

0044 吾妹子わぎもこをいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも

右の一首は、石上いそのかみの大臣おほまへつきみの従駕おほみともつかへまつりてよめる。右、日本紀ニ曰ク、朱鳥六年壬辰春三月丙寅ノ朔戊辰、浄広肆廣瀬王等ヲ以テ、留守官ト為ス。是ニ中納言三輪朝臣高市麻呂、其ノ冠位カガフリヲ脱キテ、朝ニササゲテ、重ネテ諌メテ曰ク、農作ナリハヒノ前、車駕以テ動スベカラズ。辛未、天皇諌ニ従ハズシテ、遂ニ伊勢ニ幸シタマフ。五月乙丑朔庚午、阿胡行宮ニ御ス。



輕皇子の安騎あきの野に宿りませる時、柿本朝臣人麿がよめる歌

0045 やすみしし 我が大王おほきみ 高ひかる 日の皇子みこ
   神かむながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
   隠国こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を
   石いはが根 楚樹しもと押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
   玉蜻かぎろひの* 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に
   旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして*

短歌みじかうた

0046 安騎の野に宿れる旅人たびとうち靡き寝いも寝ぬらめやもいにしへ思ふに

0047 ま草苅る荒野にはあれど黄葉もみちばの過ぎにし君が形見とそ来し

0048 東ひむかしの野に炎かぎろひの立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ

0049 日並ひなみの皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ



藤原の宮営つくりに役たてる民のよめる歌

0050 やすみしし 我が大王おほきみ 高ひかる 日の皇子みこ
   荒布あらたへの 藤原が上に 食をす国を 見めしたまはむと
   都宮おほみやは 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに
   天地あめつちも 依りてあれこそ 石走る 淡海あふみの国の
   衣手の 田上たなかみ山の 真木さく 檜ひのつまてを
   物部もののふの 八十やそ宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
   そを取ると 騒く御民みたみも 家忘れ 身もたな知らに
   鴨じもの 水に浮き居て 吾あが作る 日の御門に
   知らぬ国 依り巨勢道こせぢより 我が国は 常世にならむ
   図ふみ負へる 神あやしき亀も 新代あらたよと 泉の川に
   持ち越せる 真木のつまてを 百もも足らず 筏に作り
   泝のぼすらむ 勤いそはく見れば 神ながらならし

右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、藤原宮ニ遷リ居ス。



明日香の宮より藤原の宮に遷り居ましし後、志貴皇子のよみませる御歌

0051 媛女をとめの袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く



藤原の宮の御井の歌

0052 やすみしし 我ご大王おほきみ 高ひかる 日の皇子みこ
   荒布の 藤井が原に 大御門おほみかど 始めたまひて
   埴安はにやすの 堤の上に あり立たし 見めしたまへば
   大和の 青香具山は 日の経たての 大御門に
   青山と 茂しみさび立てり 畝傍の この瑞山みづやまは
   日の緯よこの 大御門に 瑞山と 山さびいます
   耳成の 青菅山あをすがやまは 背面そともの 大御門に
   よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は
   影面かげともの 大御門よ 雲居にそ 遠くありける
   高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の
   水こそは 常磐ときはに有らめ 御井のま清水

短歌

0053 藤原の大宮仕へ顕あれ斎つくや処女が共は羨ともしきろかも

右の歌、作者よみひと未詳しらず。



太上天皇おほきすめらみことの難波の宮に幸せる時の歌*

0066 大伴の高師の浜の松が根を枕まきて寝ぬる夜は家し偲はゆ

右の一首は、置始東人おきそめのあづまひと。

0067 旅にして物恋こほしきに家語いへごとも聞こえざりせば恋ひて死なまし

右の一首は、高安大島。

0068 大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや

右の一首は、身人部王むとべのおほきみ。

0069 草枕旅行く君と知らませば岸の黄土はにふに匂はさましを

右の一首は、清江娘子すみのえのをとめが、長皇子に進たてまつれる歌。姓氏ハ詳カナラズ。



大宝だいはう元年はじめのとし辛丑かのとうし、太上天皇の吉野の宮に幸せる時の歌

0070 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象きさの中山呼びそ越ゆなる

右の一首は、高市連黒人。\n

*0054 巨勢山の列列つらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

右の一首は、坂門人足さかどのひとたり。
或ル本ノ歌、

 0056 河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は

右の一首は、春日蔵首老かすがのくらびとおゆ。



三野連が唐もろこしに入つかはさるる時、春日蔵首老がよめる歌

0062 大船おほぶねの対馬の渡り海中わたなかに幣ぬさ取り向けて早帰り来ね



山上臣憶良やまのへのおみおくらが、大唐もろこしに在りし時、本郷くに憶しぬひてよめる歌

0063 いざ子ども早日本辺やまとへに大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ



太上天皇の紀伊国に幸せる時、調首淡海つきのおびとあふみがよめる歌

0055 麻裳あさもよし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも



二年ふたとせといふとし壬寅みづのえとら、太上天皇の参河国に幸せる時の歌

0057 引馬野ひくまぬににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに

右の一首は、長忌寸奥麻呂ながのいみきおきまろ。

0058 いづくにか船泊てすらむ安禮あれの崎榜ぎ廻たみ行きし棚無小舟たななしをぶね

右の一首は、高市連黒人。\n
0059 流らふる雪吹く風の*寒き夜に我が夫せの君はひとりか寝ぬらむ

右の一首は、譽謝女王よさのおほきみ。

0060 宵に逢ひて朝あした面無み隠なばりにか日け長き妹が廬りせりけむ

右の一首は、長皇子ながのみこ。

0061 大夫ますらをが幸矢さつや手だ挟み立ち向ひ射る圓方まとかたは見るに清さやけし

右の一首は、舎人娘子とねりのいらつめが従駕おほみともつかへまつりてよめる。



慶雲きやううむ三年みとせといふとし丙午ひのえうま、難波の宮に幸せる時の歌

0064 葦辺あしへゆく鴨の羽交はがひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ

右の一首は、志貴皇子。

0065 霰打ち安良禮あられ松原住吉すみのえの弟日娘おとひをとめと見れど飽かぬかも

右の一首は、長皇子。



大行天皇さきのすめらみことの難波の宮に幸せる時の歌

0071 大和恋ひ眠いの寝ねらえぬに心なくこの渚すの崎に鶴たづ鳴くべしや

右の一首は、忍坂部乙麻呂おさかべのおとまろ。

0072 玉藻刈る沖へは榜がじ敷布しきたへの枕の辺ほとり忘れかねつも

右の一首は、式部卿のりのつかさのかみ藤原宇合。

0073 我妹子を早見浜風大和なる吾あを松の樹に吹かざるなゆめ

右の一首は、長皇子。



大行天皇の吉野の宮に幸せる時の歌

0074 み吉野の山の荒風あらしの寒けくにはたや今宵も我あが独り寝む

右の一首は、或るひとの云はく、天皇のみよみませる御製歌おほみうた。

0075 宇治間山うぢまやま朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに

右の一首は、長屋王。



寧樂ならの宮に天の下知ろしめしし天皇の代*


和銅元年はじめのとし戊申つちのえさる、天皇のみよみませる御製歌おほみうた

0076 大夫ますらをの鞆ともの音すなり物部もののふの大臣おほまへつきみ楯立つらしも



御名部皇女みなべのひめみこの和こたへ奉れる御歌

0077 吾が大王おほきみものな思ほし皇神すめかみの嗣ぎて賜へる君なけなくに



三年庚戌かのえいぬ春三月やよひ藤原の宮より寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に御輿みこし停とどめて古郷ふるさとを廻望かへりみしたまひてよみませる歌みうた 一書ニ云ク、飛鳥宮ヨリ藤原宮ニ遷リマセル時、*太上天皇御製ミマセリ

0078 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ



藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌

0079 天皇おほきみの 御命みこと畏かしこみ 和にきびにし 家を置き
   隠国こもりくの 泊瀬の川に 船浮けて 吾あが行く河の
   川隈くまの 八十隈やそくまおちず 万よろづたび かへり見しつつ
   玉ほこの 道行き暮らし 青丹よし 奈良の都の
   佐保川に い行き至りて 我あが寝たる 衣の上よ
   朝月夜づくよ さやかに見れば 栲たへの穂に 夜の霜降り
   磐床と 川の氷ひ凝こほり 冷さゆる夜を 息やすむことなく
   通ひつつ 作れる家に 千代まてに 座いまさむ君と 吾あれも通はむ

反し歌

0080 青丹よし寧樂の家には万代に吾あれも通はむ忘ると思もふな

右の歌は、作主よみひと未詳しらず。



五年いつとせといふとし壬子みづのえね夏四月うづき、長田王ながたのおほきみを伊勢の斎宮いつきのみやに遣はさるる時、山辺の御井にてよめる歌

0081 山辺やまへの御井を見がてり神風かむかぜの伊勢処女をとめども相見つるかも

0082 うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば

0083 海わたの底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む

右ノ二首ハ、今案カムガフルニ御井ノ所ノ作ニ似ズ。若疑ケダシ当時誦セル古歌カ。



長皇子と、志貴皇子と、佐紀の宮にて倶宴うたげしたまふときの歌

0084 秋さらば今も見るごと妻恋に鹿か鳴かむ山そ高野原の上

右の一首は、長皇子。

德川家忠 2005-10-15 22:05

訓読万葉集 巻2 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―

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巻第二ふたまきにあたるまき


相聞したしみうた


難波なにはの高津の宮に天あめの下知ろしめしし天皇すめらみことの代みよ


〔磐姫〕*皇后おほきさきの天皇を思しぬばしてよみませる御歌四首よつ

0085 君が旅行ゆき日け長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

右ノ一首ノ歌ハ、山上憶良臣ガ類聚歌林ニ載セタリ。古事記ニ曰ク、輕太子、輕大郎女ニ奸タハケヌ。故カレ其ノ太子、伊豫ノ湯ニ流サル。此ノ時衣通王、恋慕ニ堪ヘズシテ追ヒ徃ク時ノ歌ニ曰ク、

 0090 君がゆき日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ

此ニ山多豆ト云ヘルハ、今ノ造木ミヤツコギ也。右ノ一首ノ歌ハ、古事記ト類聚歌林ト、説ク所同ジカラズ。歌主モ亦異レリ。因カレ日本紀ヲ検カムガフルニ曰ク、難波高津宮ニ御宇アメノシタシロシメシシ大鷦鷯オホサザキ天皇、廿二年春正月、天皇皇后ニ語リタマヒテ曰ク、八田皇女ヲ納メシイレテ、妃ト為サム。時ニ皇后聴シタマハズ。爰ニ天皇歌ミウタヨミシテ、以テ皇后ニ乞ハシタマフ、云々。三十年秋九月乙卯朔乙丑、皇后、紀伊国ニ遊行イデマシテ、熊野岬ニ到リ、其処ノ御綱葉ヲ取リテ還リタマフ。是ニ天皇、皇后ノ在サヌコトヲ伺ヒテ、八田皇女ヲ娶リテ、宮ノ中ニ納レタマフ。時ニ皇后、難波ノ濟ワタリニ到リ、天皇ノ八田皇女ヲ合メシツト聞カシタマヒテ、大ニコレヲ恨ミタマフ、云々。亦曰ク、遠ツ飛鳥宮ニ御宇シシ雄朝嬬稚子宿禰天皇、二十三年春三月甲午朔庚子、木梨輕皇子ヲ太子ト為ス。容姿佳麗カホキラキラシ。見ル者自ラ感メヅ。同母妹イロモ輕太娘皇女モ亦艶妙ナリ、云々。遂ニ竊ニ通タハケヌ。乃チ悒懐少シ息ヤム。廿四年夏六月、御羮オモノノ汁凝コリテ以テ氷ヲ作ス。天皇異アヤシミタマフ。其ノ所由ユヱヲ卜ウラシメタマフニ、卜者曰マウサク、内ノ乱有ラム、盖シ親親相姦カ、云々。仍チ大娘皇女ヲ伊豫ニ移ストイヘルハ、今案ルニ、二代二時此歌ヲ見ズ。

0086 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕まきて死なましものを

0087 在りつつも君をば待たむ打靡く吾あが黒髪に霜の置くまでに\n
或ル本マキノ歌ニ曰ク

 0089 居明かして君をば待たむぬば玉の吾あが黒髪に霜は降るとも\n
右ノ一首ハ、古歌集ノ中ニ出デタリ。

0088 秋の田の穂の上へに霧らふ朝霞あさかすみいづへの方に我あが恋やまむ




近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の鏡女王かがみのおほきみに賜へる御歌おほみうた一首ひとつ

0091 妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺ねに家居をらましを

鏡女王の和こたへ奉まつれる歌一首

0092 秋山の樹この下隠がくり行く水の吾あこそ勝まさらめ思ほさむよは



内大臣うちのおほまへつきみ藤原の卿まへつきみの、鏡女王を娉つまどひたまふ時、鏡女王の内大臣に贈りたまへる歌一首

0093 玉くしげ帰るを否み明けてゆかば君が名はあれど吾あが名し惜しも

内大臣藤原の卿の、鏡女王に報贈こたへたまへる歌一首

0094 玉くしげ三室みむろの山のさな葛かづらさ寝ずは遂に有りかてましも



内大臣藤原の卿の釆女うねべ安見児やすみこを娶えたる時よみたまへる歌一首

0095 吾あはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり



久米禅師くめのぜむしが石川郎女いしかはのいらつめを娉つまどふ時の歌五首いつつ

0096 美薦みこも苅る信濃しなぬの真弓吾あが引かば貴人うまひとさびて否と言はむかも 禅師

0097 美薦苅る信濃の真弓引かずして弦を著はくる行事わざを知ると言はなくに 郎女

0098 梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも 郎女

0099 梓弓弓弦つらを取り佩はけ引く人は後の心を知る人ぞ引く 禅師

0100 東人あづまひとの荷前のさきの箱の荷にの緒にも妹が心に乗りにけるかも 禅師\n


大伴宿禰おほとものすくねの巨勢郎女こせのいらつめを娉ふ時の歌一首

0101 玉葛たまかづら実ならぬ木には千早ぶる神そ著つくちふ成らぬ木ごとに

巨勢郎女が報贈こたふる歌一首

0102 玉葛花のみ咲きて成らざるは誰たが恋ならも吾あは恋ひ思もふを



明日香の清御原きよみはらの宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の藤原夫人ふじはらのきさきに賜へる御歌おほみうた一首

0103 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後

藤原夫人の和へ奉れる歌一首

0104 我が岡のおかみに乞ひて降らしめし雪の砕けしそこに散りけむ



藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


大津皇子の、伊勢の神宮かみのみやに竊しぬひ下くだりて上来のぼります時に、大伯皇女おほくのひめみこのよみませる御歌二首ふたつ

0105 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁あかとき露に吾あが立ち濡れし

0106 二人ゆけど行き過ぎがたき秋山をいかでか君が独り越えなむ



大津皇子の、石川郎女に贈りたまへる御歌一首

0107 足引の山のしづくに妹待つと吾あが立ち濡れぬ山のしづくに

石川郎女が和へ奉れる歌一首

0108 吾あを待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを



大津皇子、石川女郎いしかはのいらつめに竊しぬひ婚あひたまへる時、津守連通つもりのむらじとほるが其の事を占うらひ露はせれば、皇子のよみませる御歌一首

0109 大船おほぶねの津守が占うらに告のらむとは兼ねてを知りて我が二人寝し



日並皇子ひなみのみこの尊みことの石川女郎に贈り賜へる御歌一首 女郎、字アザナヲ大名児ト曰フ

0110 大名児を彼方をちかた野辺ぬへに苅る草かやの束つかのあひだも吾あれ忘れめや



吉野よしぬの宮に幸いでませる時、弓削皇子ゆげのみこの額田王に贈りたまへる御歌一首

0111 古いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉ゆづるはの御井の上より鳴き渡りゆく

額田王の和こたへ奉れる歌一首

0112 古に恋ふらむ鳥は霍公鳥ほととぎすけだしや鳴きし吾あが恋ふるごと



吉野より蘿こけ生むせる松が枝えを折取をりて遣おくりたまへる時、額田王の奉入たてまつれる歌一首

0113 み吉野の山松が枝は愛はしきかも君が御言を持ちて通はく



但馬皇女たぢまのひめみこの、高市皇子の宮に在いませる時、穂積皇子を思しぬひてよみませる御歌一首

0114 秋の田の穂向きの寄れる片依りに君に寄りなな言痛こちたかりとも



穂積皇子に勅のりこちて、近江の志賀の山寺に遣はさるる時、但馬皇女のよみませる御歌一首

0115 遺おくれ居て恋ひつつあらずは追ひ及しかむ道の隈廻くまみに標しめ結へ我が兄せ



但馬皇女の、高市皇子の宮に在せる時、穂積皇子に竊しぬび接あひたまひし事既形あらはれて後によみませる御歌一首

0116 人言ひとごとを繁み言痛み生ける世に未だ渡らぬ朝川渡る



舎人皇子とねりのみこの舎人娘子とねりのいらつめに賜へる御歌一首

0117 大夫ますらをや片恋せむと嘆けども醜しこの益荒雄ますらをなほ恋ひにけり

舎人娘子が和へ奉れる歌一首

0118 嘆きつつ大夫ますらをのこの恋ふれこそ吾あが髪結もとゆひの漬ひぢて濡れけれ



弓削皇子ゆげのみこの紀皇女きのひめみこを思しぬひてよみませる御歌四首よつ

0119 吉野川行く瀬の早み暫しましくも淀むことなく有りこせぬかも

0120 吾妹子わぎもこに恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花ならましを

0121 夕さらば潮満ち来なむ住吉すみのえの浅香の浦に玉藻苅りてな

0122 大船の泊はつる泊りのたゆたひに物思もひ痩せぬ他人ひとの子故に



三方沙弥みかたのさみが、園臣生羽そののおみいくはの女めに娶あひて、幾だもあらねば、臥病やみふせるときの作歌うた三首

0123 束たけば滑ぬれ束かねば長き妹が髪このごろ見ぬに掻上かかげつらむか 三方沙弥

0124 人皆は今は長みと束けと言へど君が見し髪乱りたりとも 娘子

0125 橘の蔭踏む路の八衢やちまたに物をそ思ふ妹に逢はずて 三方沙弥



石川女郎が、大伴宿禰田主おほとものすくねたぬしに贈れる歌一首

0126 遊士みやびをと吾あれは聞けるを宿貸さず吾あれを帰せりおその風流士みやびを

大伴田主ハ、字仲郎ナカチコト曰リ。容姿佳艶、風流秀絶。見ル人聞ク者、歎息ナゲカズトイフコト靡ナシ。時ニ石川女郎イラツメトイフモノアリ。自ラ雙栖ノ感ヒヲ成シ、恒ニ独守ノ難キヲ悲シム。意ココロハ書寄セムト欲ヘドモ、未ダ良キ信タヨリニ逢ハズ。爰ニ方便ヲ作シテ、賎シキ嫗ニ似セ、己レ堝子ナベヲ提ゲテ、寝ネヤノ側ニ到ル。哽音跼足、戸ヲ叩キ諮トブラヒテ曰ク、東ノ隣ノ貧シキ女メ、火ヲ取ラムト来タルト。是ニ仲郎、暗キ裏ウチニ冒隠ノ形ヲ識ラズ、慮外ニ拘接マジハリノ計ニ堪ヘズ。念ヒニ任セテ火ヲ取リ、跡ニ就キテ帰リ去ヌ。明ケテ後、女郎既ニ自ラ媒チセシコトノ愧ヅベキヲ恥ヂ、復タ心契チギリノ果タサザルヲ恨ム。因テ斯ノ歌ヲ作ミ、以テ贈リテ諺戯タハブレリ。

大伴宿禰田主が報贈こたふる歌一首

0127 遊士に吾あれはありけり宿貸さず帰せし吾あれそ風流士にある



石川女郎がまた大伴宿禰田主に贈れる歌一首

0128 吾あが聞きし耳によく似つ葦の末うれの足痛あなやむ我が背自愛つとめ給たぶべし

右、中郎ノ足ノ疾ケニ依リ、此ノ歌ヲ贈リテ問訊トブラヘリ。



大津皇子の宮の侍まかたち石川女郎が大伴宿禰宿奈麻呂すくなまろに贈れる歌一首

0129 古りにし嫗おみなにしてやかくばかり恋に沈まむ手童たわらはのごと



長皇子の皇弟いろどのみこに与おくりたまへる御歌一首

0130 丹生にふの川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛こひたむ吾弟あおといで通ひ来ね



柿本朝臣人麿が石見国いはみのくにより妻めに別れ上来まゐのぼる時の歌二首、また短歌みじかうた

0131 石見の海み 角つぬの浦廻うらみを
   浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ
   よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも
   鯨魚いさな取り 海辺うみへを指して
   渡津わたづの 荒礒ありその上に か青なる 玉藻沖つ藻
   朝羽振はふる 風こそ来寄せ 夕羽振はふる 波こそ来寄せ
   波の共むた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を
   露霜つゆしもの 置きてし来れば
   この道の 八十隈やそくまごとに 万よろづたび かへり見すれど
   いや遠に 里は離さかりぬ いや高に 山も越え来きぬ
   夏草の 思ひ萎しなえて 偲しぬふらむ 妹が門見む 靡けこの山

反し歌二首

0132 石見のや高角たかつぬ山の木この間より我あが振る袖を妹見つらむか

或ル本ノ反シ歌

 0134 石見なる高角山の木の間よも吾あが袖振るを妹見けむかも

0133 小竹ささが葉はみ山もさやに乱れども吾あれは妹思ふ別れ来きぬれば

或ル本ノ歌一首、マタ短歌

 0138 石見の海み 角つぬの浦みを
    浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ
    よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも
    勇魚いさな取り 海辺を指して
    柔田津にきたづの 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻
    明け来れば 波こそ来寄せ 夕されば 風こそ来寄せ
    波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 靡き吾あが寝し
    敷布しきたへの 妹が手本たもとを 露霜の 置きてし来れば
    この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど
    いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ
    はしきやし 吾あが妻の子が 夏草の 思ひ萎えて
    嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山

反し歌

 0139 石見の海み竹綱たかつぬ山の木の間より吾あが振る袖を妹見つらむか

右、歌体同ジト雖モ、句々相替レリ。因テ此ニ重ネ載ス。


0135 つぬさはふ 石見の海の 言ことさへく 辛からの崎なる
   海石いくりにそ 深海松ふかみる生ふる 荒礒にそ 玉藻は生ふる
   玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思もへど
   さ寝し夜は 幾だもあらず 延はふ蔦の 別れし来れば\n   肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど
   大舟の 渡の山の もみち葉の 散りの乱みだりに
   妹が袖 さやにも見えず 妻隠つまごもる 屋上やかみの山の
   雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠ろひ来つつ
   天伝あまつたふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる吾あれも
   敷布の 衣の袖は 通りて濡れぬ

反し歌二首

0136 青駒あをこまが足掻あがきを速み雲居にそ妹があたりを過ぎて来にける

0137 秋山に散らふ黄葉もみちば暫しましくはな散り乱みだりそ妹があたり見む



柿本朝臣人麿が妻め依羅娘子よさみのいらつめが、人麿と相別わかるる歌一首

0140 な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか吾あが恋ひざらむ



挽歌かなしみうた


後の崗本の宮に天の下知ろしめしし天皇すめらみことの代みよ


有間皇子の自傷かなしみまして松が枝を結びたまへる御歌二首

0141 磐代の浜松が枝を引き結びま幸さきくあらばまた還り見む

0142 家にあれば笥けに盛る飯いひを草枕旅にしあれば椎の葉に盛る



長忌寸意吉麻呂ながのいみきおきまろが、結び松を見て哀咽かなしみよめる歌二首

0143 磐代の岸の松が枝結びけむ人は還りてまた見けむかも

柿本朝臣人麿ノ歌集ニ云ク、大宝元年辛丑、紀伊国ニ幸セル時、結ビ松ヲ見テ作レル歌一首

 0146 後見むと君が結べる磐代の小松が末うれをまた見けむかも

0144 磐代の野中に立てる結び松心も解けず古いにしへ思ほゆ

山上臣憶良が追ひて和なぞらふる歌一首

0145 鳥翔つばさ成す有りがよひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ



近江の大津の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


天皇の聖躬不豫おほみやまひせす時、大后おほきさきの奉れる御歌一首

0147 天の原振り放け見れば大王おほきみの御寿みいのちは長く天足あまたらしたり

一書ニ曰ク、近江天皇ノ聖体不豫ニシテ、御病急ニハカナル時、大后ノ奉献レル御歌一首ナリト。



天皇の崩御かむあがりませる時、〔倭〕大后のよみませる御歌二首

0148 青旗の木旗こはたの上を通ふとは目には見ゆれど直ただに逢はぬかも

0149 人はよし思ひ止やむとも玉蘰たまかづら影に見えつつ忘らえぬかも



天皇の崩かむあがりませる時、婦人をみながよめる歌一首 姓氏ハ詳ラカナラズ

0150 うつせみし 神に勝たへねば 離さかり居て 朝嘆く君
   放はなれ居て 吾あが恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて
   衣ならば 脱く時もなく 吾あが恋ひむ 君そ昨夜きその夜よ 夢いめに見えつる



天皇の大殯おほあらきの時の歌四首

0151 かからむと予かねて知りせば大御船泊てし泊に標しめ結はましを 額田王

0152 やすみしし我ご大王の大御船待ちか恋ふらむ志賀の辛崎 舎人吉年



大后の御歌一首

0153 鯨魚いさな取り 淡海あふみの海を
   沖放さけて 榜ぎ来る船 辺へ付きて 榜ぎ来る船
   沖つ櫂 いたくな撥はねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ
   若草の 夫つまの命みことの 思ふ鳥立つ



石川夫人いしかはのおほとじが歌一首

0154 楽浪ささなみの大山守は誰が為か山に標結ふ君も在まさなくに



山科の御陵みささぎより退散あがれる時、額田王のよみたまへる歌一首

0155 やすみしし 我ご大王の 畏きや 御陵みはか仕ふる
   山科の 鏡の山に 夜よるはも 夜よのことごと
   昼はも 日のことごと 哭ねのみを 泣きつつありてや
   ももしきの 大宮人は 去ゆき別れなむ



明日香の清御原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


十市皇女の薨すぎませる時、高市皇子尊のよみませる御歌三首

0156 三諸みもろの神の神杉かむすぎかくのみにありとし見つつ寝いねぬ夜ぞ多き

0157 神山かみやまの山辺やまへ真麻木綿まそゆふ短か木綿かくのみ故に長くと思ひき

0158 山吹の立ち茂みたる*山清水汲みに行かめど道の知らなく



天皇の崩かむあがりませる時、大后のよみませる御歌一首

0159 やすみしし 我が大王の 夕されば 見めしたまふらし
   明け来れば 問ひたまふらし 神岳かみをかの 山の黄葉もみちを
   今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見めしたまはまし
   その山を 振り放さけ見つつ 夕されば あやに悲しみ
   明け来れば うらさび暮らし 荒布あらたへの 衣の袖は 乾ひる時もなし

一書ニ曰ク、天皇ノ崩カムアガリマセル時、太上天皇ノ御製ミヨミマセル歌オホミウタ二首

 0160 燃ゆる火も取りて包みて袋には入いると言はずや面智男雲

 0161 北山にたなびく雲の青雲の星離さかり行き月も離さかりて

天皇ノ崩シシ後、八年九月九日御斎会ヲガミ奉為ツカヘマツレル夜、夢裏イメニ習ヨミ賜ヘル御歌一首

 0162 明日香の 清御原の宮に 天の下 知ろしめしし
    やすみしし 我が大王 高光る 日の皇子
    いかさまに 思ほしめせか 神風かむかぜの 伊勢の国は
    沖つ藻も 靡なびかふ波に 潮気のみ 香れる国に
    味凝うまごり あやにともしき 高光る 日の御子



藤原の宮に天の下知ろしめしし天皇の代


大津皇子の薨すぎましし後、大来皇女おほくのひめみこの伊勢の斎宮いつきのみやより上京のぼりたまへる時、よみませる御歌二首

0163 神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君も在まさなくに

0164 見まく欲り吾あがする君も在まさなくに何しか来けむ馬疲るるに



大津皇子の屍みかばねを葛城かづらきの二上山ふたがみやまに移し葬はふりまつれる時、大来皇女の哀傷かなしみてよみませる御歌二首

0165 うつそみの人なる吾あれや明日よりは二上山を我が兄せと吾あが見む

0166 磯の上に生ふる馬酔木あしびを手た折らめど見すべき君が在ますと言はなくに



日並皇子ひなみのみこの尊みことの殯宮あらきのみやの時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌みじかうた

0167 天地あめつちの 初めの時し 久かたの 天河原あまのがはらに
   八百万やほよろづ 千万ちよろづ神の 神集かむつどひ 集ひ座いまして
   神分かむあがち 分あがちし時に 天照らす 日女ひるめの命みこと
   天あめをば 知ろしめすと 葦原の 瑞穂の国を
   天地の 寄り合ひの極み 知ろしめす 神の命と
   天雲あまくもの 八重掻き別わけて 神下かむくだり 座いませまつりし
   高光る 日の皇子は 飛鳥あすかの 清御きよみの宮に
   神かむながら 太敷きまして 天皇すめろきの 敷きます国と
   天の原 石門いはとを開き 神上かむのぼり 上り座いましぬ
   我が王おほきみ 皇子の命の 天あめの下 知ろしめしせば
   春花の 貴からむと 望月の 満たたはしけむと
   天の下 四方よもの人の 大船おほぶねの 思ひ頼みて
   天あまつ水 仰あふぎて待つに いかさまに 思ほしめせか
   由縁つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座いまし
   御殿みあらかを 高知りまして 朝ごとに 御言問はさず
   日月ひつきの 数多まねくなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 行方知らずも

反し歌二首

0168 久かたの天あめ見るごとく仰あふぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも

0169 あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜渡る月の隠らく惜しも

或ル本、件ノ歌ヲ以テ後ノ皇子ノ尊ノ殯宮ノ時ノ反歌ト為ス。



皇子の尊の宮の舎人等が慟傷かなしみてよめる歌二十三首はたちまりみつ

0171 高光る我が日の皇子の万代よろづよに国知らさまし島の宮はも

0172 島の宮勾まがりの池の放鳥はなちとり荒びな行きそ君座まさずとも

或ル本マキノ歌一首

 0170 島の宮勾の池の放鳥人目に恋ひて池に潜かづかず

0173 高光る我が日の皇子のいましせば島の御門は荒れざらましを

0174 外よそに見し真弓の岡も君座ませば常とこつ御門と侍宿とのゐするかも

0175 夢いめにだに見ざりしものを欝悒おほほしく宮出もするかさ檜隈廻ひのくまみを

0176 天地と共にに終へむと思ひつつ仕へ奉まつりし心違たがひぬ

0177 朝日照る佐太さだの岡辺おかへに群れ居つつ吾等あが泣く涙やむ時もなし

0178 御立たしし島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる

0179 橘の島の宮には飽かねかも佐太の岡辺に侍宿しに往く

0180 御立たしし島をも家と栖む鳥も荒びな行きそ年替るまで

0181 御立たしし島の荒礒を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも

0182 鳥座とくら立て飼ひし雁の子巣立たちなば真弓の岡に飛び還り来ね

0183 我が御門千代常磐とことはに栄えむと思ひてありし吾あれし悲しも

0184 東ひむかしの滝たぎの御門みかどに侍さもらへど昨日も今日も召すことも無し

0185 水伝つたふ礒の浦廻の石躑躅いそつつじ茂もく咲く道をまたも見むかも

0186 一日ひとひには千たび参りし東ひむかしの滝の御門を入りかてぬかも

0187 所由つれもなき佐太の岡辺に君居ませば島の御階みはしに誰たれか住まはむ

0188 あかねさす日の入りぬれば御立たしし島に下おり居て嘆きつるかも

0189 朝日照る島の御門に欝悒おほほしく人音ひとともせねば真心まうら悲しも

0190 真木柱まきばしら太き心はありしかどこの吾あが心鎮めかねつも

0191 けころもを春冬かたまけて幸いでましし宇陀うだの大野は思ほえむかも

0192 朝日照る佐太の岡辺に鳴く鳥の夜鳴きかへらふこの年ごろを

0193 奴やたこらが夜昼と云はず行く路を吾あれはことごと宮道みやぢにぞする

右、日本紀ニ曰ク、三年己丑夏四月癸未朔乙未薨セリ。



河島皇子の殯宮あらきのみやの時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女はつせべのひめみこに献れる歌一首、また短歌*

0194 飛ぶ鳥の 明日香の川の 上かみつ瀬に 生ふる玉藻は
   下しもつ瀬に 流れ触ふらふ 玉藻なす か寄りかく寄り
   靡かひし 夫つまの命みことの たたなづく 柔膚にきはだすらを
   剣刀つるぎたち 身に添へ寝ねば ぬば玉の 夜床よとこも荒るらむ
   そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ほして
   玉垂たまたれの 越智をちの大野の 朝露に 玉藻はひづち
   夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故

反し歌一首

0195 敷布しきたへの袖交へし君玉垂の越智野に過ぎぬまたも逢はめやも

右*、日本紀ニ云ク、朱鳥五年辛卯秋九月己巳朔丁丑、浄大参皇子川嶋薨セリ。



高市皇子の尊の、城上きのへの殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0199 かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き
   明日香の 真神の原に 久かたの 天あまつ御門みかどを
   畏くも 定めたまひて 神かむさぶと 磐隠いはがくります
   やすみしし 我が王おほきみの きこしめす 背面そともの国の
   真木立つ 不破山越えて 高麗剣こまつるぎ 和射見わざみが原の
   行宮かりみやに 天降あもり座いまして 天の下 治めたまひ
   食をす国を 定めたまふと 鶏とりが鳴く 東あづまの国の
   御軍士みいくさを 召したまひて 千磐ちは破る 人を和やはせと
   奉まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任まきたまへば
   大御身おほみみに 大刀取り帯ばし 大御手おほみてに 弓取り持たし
   御軍士を 率あどもひたまひ 整ふる 鼓つつみの音は
   雷いかつちの 声と聞くまで 吹き響なせる 小角くだの音も
   敵あた見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに
   差上ささげたる 幡はたの靡きは 冬こもり 春さり来れば
   野ごとに つきてある火の 風の共むた 靡くがごとく
   取り持たる 弓弭ゆはずの騒き み雪降る 冬の林に
   旋風つむしかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの恐かしこく
   引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱りて来きたれ
   奉まつろはず 立ち向ひしも 露霜つゆしもの 消けなば消ぬべく
   去ゆく鳥の 争ふはしに 度會わたらひの 斎いはひの宮ゆ
   神風に 息吹いぶき惑はし 天雲あまくもを 日の目も見せず
   常闇とこやみに 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を
   神ながら 太敷き座います やすみしし 我が大王の
   天の下 奏まをしたまへば 万代よろづよに 然しかしもあらむと
   木綿花ゆふはなの 栄ゆる時に 我が大王 皇子の御門を
   神宮かむみやに 装ひ奉まつりて 遣はしし 御門の人も
   白布しろたへの 麻衣あさころも着て 埴安はにやすの 御門の原に
   あかねさす 日のことごと 獣ししじもの い匍ひ伏しつつ
   ぬば玉の 夕へになれば 大殿おほとのを 振り放け見つつ
   鶉なす い匍ひ廻もとほり 侍さもらへど 侍ひかねて
   春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに
   憶おもひも いまだ尽きねば 言ことさへく 百済くだらの原ゆ
   神葬かむはふり 葬り行いまして あさもよし 城上の宮を
   常宮とこみやと 定め奉まつりて 神ながら 鎮まり座ましぬ
   しかれども 我が大王の 万代と 思ほしめして
   作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思もへや
   天あめのごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども

短歌二首

0200 久かたの天知らしぬる君故に日月も知らに恋ひわたるかも

0201 埴安の池の堤の隠沼こもりぬの行方を知らに舎人は惑まどふ

或ル書ノ反歌一首

 0202 哭澤なきさはの神社もりに神酒みわ据ゑ祈のまめども我が王おほきみは高日知らしぬ

右ノ一首ハ、類聚歌林ニ曰ク、檜隈女王、泣澤ノ神社ヲ怨メル歌ナリ。日本紀ニ案ルニ曰ク、〔持統天皇〕十年丙申秋七月辛丑朔庚戌、後ノ皇子尊薨セリ。



弓削皇子の薨すぎませる時、置始東人おきそめのあづまひとがよめる歌一首、また短歌

0204 やすみしし 我が王おほきみ 高光る 日の皇子
   久かたの 天あまつ宮に 神ながら 神と座いませば
   そこをしも あやに畏み 昼はも 日のことごと
   夜よるはも 夜よのことごと 臥し居嘆けど 飽き足らぬかも

反し歌一首

0205 王おほきみは神にしませば天雲あまくもの五百重いほへが下に隠りたまひぬ

〔又短歌一首〕*

0206 楽浪ささなみの志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほえたりける



明日香皇女の城上きのへの殯宮の時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌*

0196 飛ぶ鳥の 明日香の川の
   上つ瀬に 石橋いはばし渡し 下つ瀬に 打橋渡す
   石橋に 生おひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生はふる
   打橋に 生おひををれる 川藻もぞ 枯るれば生はゆる
   なにしかも 我が王おほきみの 立たせば 玉藻のごと
   臥こやせば 川藻のごとく 靡かひし 宜よろしき君が
   朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや
   うつそみと 思ひし時に
   春へは 花折り挿頭かざし 秋立てば 黄葉もみちば挿頭し
   敷布の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かに
   望月もちつきの いやめづらしみ 思ほしし 君と時々
   出でまして 遊びたまひし 御食みけ向ふ 城上の宮を
   常宮とこみやと 定めたまひて あぢさはふ 目言めことも絶えぬ
   そこをしも あやに悲しみ ぬえ鳥とりの 片恋しつつ
   朝鳥の 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて
   夕星ゆふづつの か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば
   慰むる 心もあらず そこ故に 為せむすべ知らに
   音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く
   思しぬひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに
   はしきやし 我が王おほきみの 形見にここを

短歌二首

0197 明日香川しがらみ渡し塞せかませば流るる水ものどにかあらまし

0198 明日香川明日さへ見むと思へやも我が王の御名忘れせぬ



柿本朝臣人麿が、妻めの死みまかりし後、泣血哀慟かなしみよめる歌二首、また短歌

0207 天あま飛ぶや 輕かるの路は 我妹子わぎもこが 里にしあれば
   ねもころに 見まく欲しけど 止まず行かば 人目を多み
   数多まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと
   大船の 思ひ頼みて 玉蜻かぎろひの 磐垣淵いはかきふちの
   隠こもりのみ 恋ひつつあるに
   渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠がくるごと
   沖つ藻の 靡きし妹は もみち葉の 過ぎて去いにしと
   玉梓たまづさの 使の言へば 梓弓 音のみ聞きて
   言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば
   吾あが恋ふる 千重の一重も 慰むる 心もありやと
   我妹子が 止まず出で見し 輕の市に 吾あが立ち聞けば
   玉たすき 畝傍うねびの山に 鳴く鳥の 声も聞こえず
   玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば
   すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

短歌二首

0208 秋山の黄葉もみちを茂み惑はせる妹を求めむ山道やまぢ知らずも

0209 もちみ葉の散りぬるなべに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ

0210 うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾あが二人見し
   走出わしりでの 堤に立てる 槻つきの木の こちごちの枝えの
   春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
   頼めりし 子らにはあれど 世間よのなかを 背きしえねば
   蜻火かぎろひの 燃ゆる荒野に 白布しろたへの 天領巾あまひれ隠かくり
   鳥じもの 朝発たち行いまして 入日なす 隠りにしかば
   我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに
   取り与ふ 物しなければ 男をとこじもの 脇ばさみ持ち
   我妹子と 二人吾あが寝し 枕付く 妻屋のうちに
   昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
   嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
   大鳥おほとりの 羽易はかひの山に 吾あが恋ふる 妹はいますと
   人の言へば 岩根さくみて なづみ来こし よけくもぞなき
   うつせみと 思ひし妹が 玉蜻かぎろひの 髣髴ほのかにだにも 見えぬ思へば

短歌二首

0211 去年こぞ見てし秋の月夜つくよは照らせれど相見し妹はいや年離さかる

0212 衾道ふすまぢを引手ひきての山に妹を置きて山道を往けば生けるともなし

或ル本マキノ歌ニ曰ク

 0213 うつそみと 思ひし時に 手たづさひ 吾あが二人見し
    出立いでたちの 百枝ももえ槻の木 こちごちに 枝させるごと
    春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
    恃たのめりし 妹にはあれど 世の中を 背きしえねば
    かぎろひの 燃ゆる荒野に 白布の 天領巾隠り
    鳥じもの 朝発ちい行きて 入日なす 隠りにしかば
    我妹子が 形見に置ける 緑児みどりこの 乞ひ泣くごとに
    取り委まかす 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち
    吾妹子と 二人吾あが寝し 枕付く 妻屋のうちに
    昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし
    嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
    大鳥の 羽易はかひの山に 汝なが恋ふる 妹はいますと
    人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき
    うつそみと 思ひし妹が 灰而座者*

短歌

 0214 去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る

 0215 衾道を引手の山に妹を置きて山路やまぢ思ふに生けるともなし

0216 家に来て妻屋を見れば玉床たまとこの外とに向かひけり妹が木枕こまくら



志賀津釆女しがつのうねべ*が死みまかれる時、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0217 秋山の したべる妹 なよ竹の 嫋とを依る子らは
   いかさまに 思ひ居ませか 栲縄たくなはの 長き命を
   露こそは 朝あしたに置きて 夕へは 消けぬといへ
   霧こそは 夕へに立ちて 朝あしたは 失すといへ
   梓弓 音聞く吾あれも 髣髴おほに見し こと悔しきを
   敷布しきたへの 手た枕まきて 剣刀つるぎたち 身に添へ寝けむ
   若草の その夫つまの子は 寂さぶしみか 思ひて寝ぬらむ
   悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが
   朝露のごと 夕霧のごと

短歌二首

0218 楽浪ささなみの志賀津の子らが罷まかりにし川瀬の道を見れば寂さぶしも

0219 左々数ささなみの*大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき



讃岐国さぬきのくに狭岑島さみねのしまにて石中いそへの死人しにひとを視て、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

0220 玉藻よし 讃岐の国は
   国柄くにからか 見れども飽かぬ 神柄かみからか ここだ貴き
   天地 日月とともに 満たり行かむ 神の御面みおもと
   云ひ継げる 那珂なかの港ゆ 船浮けて 吾あが榜ぎ来れば
   時つ風 雲居に吹くに 沖見れば しき波立ち
   辺へ見れば 白波騒く 鯨魚いさな取り 海を畏み
   行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど
   名ぐはし 狭岑の島の 荒磯廻ありそみに 廬りて見れば
   波の音との 繁き浜辺はまへを 敷布の 枕になして
   荒床あらとこに 転ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ
   妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず
   欝悒おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛はしき妻らは

反し歌二首

0221 妻もあらば摘みて食たげまし狭岑山野の上へのうはぎ過ぎにけらずや

0222 沖つ波来寄る荒礒を敷布の枕とまきて寝なせる君かも



柿本朝臣人麿が石見国に在りて死みまからむとする時、自傷かなしみよめる歌一首

0223 鴨山の磐根し枕まける吾あれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ



柿本朝臣人麿が死みまかれる時、妻め依羅娘子よさみのいらつめがよめる歌二首

0224 今日今日と吾あが待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも

0225 直ただに逢はば逢ひもかねてむ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ



丹比真人たぢひのまひとが柿本朝臣人麿が意こころに擬なそらへて報こたふる歌

0226 荒波に寄せ来る玉を枕に置き吾あれここにありと誰か告げけむ



或る本まきの歌に曰く

0227 天ざかる夷ひなの荒野あらぬに君を置きて思ひつつあれば生けるともなし



寧樂ならの宮に天の下知ろしめしし天皇の代


和銅元年はじめのとし歳次戊申つちのえさる*、但馬皇女の薨すぎたまへる後、穂積皇子の冬日雪落ゆきのふるひ御墓を遥望みさけて、悲傷流涕かなしみよみませる御歌一首*

0203 降る雪は深あはにな降りそ吉隠よなばりの猪養ゐかひの岡の塞せき為さまくに



四年よとせといふとし歳次辛亥かのとのゐ、河邊宮人かはべのみやひとが姫島の松原にて嬢子をとめの屍しにかばねを見て悲嘆かなしみよめる歌二首

0228 妹が名は千代に流れむ姫島の小松の末うれに蘿生すまでに

0229 難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも



霊亀りやうき元年歳次乙卯きのとのう秋九月ながつき、志貴親王しきのみこの薨すぎませる時、よめる歌一首〔また短歌〕*

0230 梓弓 手に取り持ちて 大夫ますらをの 幸矢さつや手だ挟み
   立ち向ふ 高圓山たかまとやまに 春野焼く 野火ぬひと見るまで
   燃ゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道来る人の
   泣く涙 霈霖ひさめに降れば 白布の 衣ひづちて
   立ち留まり 吾あれに語らく 何しかも もとな言へる
   聞けば 哭ねのみし泣かゆ 語れば 心そ痛き
   天皇すめろきの 神の御子の 御駕いでましの 手火たびの光そ ここだ照りたる



志貴親王の薨すぎませる後、悲傷かなしみよめる〔短〕歌二首*

0231 高圓の野辺ぬへの秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに

0232 御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに

右ノ歌ハ、笠朝臣金村ノ歌集ニ出デタリ。或ル本ノ歌ニ曰ク

 0233 高圓の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ

 0234 御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに

德川家忠 2005-10-15 22:06

訓読万葉集 巻3 ―鹿持雅澄『萬葉集古義』による―

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巻第三みまきにあたるまき


雑歌くさぐさのうた


天皇すめらみことの雷岳いかつちのをかに御遊いでませる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首ひとつ

0235 皇おほきみは神にしませば天雲あまくもの雷いかつちの上へに廬いほりせるかも

右、或ル本マキニ云ク、忍壁皇子オサカベノミコニ献レリ。其ノ歌ニ曰ク、

   王おほきみは神にしませば雲隠がくる雷山に宮敷き座います



天皇の志斐嫗しひのおみなに賜へる御歌おほみうた一首

0236 いなと言へど強ふる志斐のが強語しひかたりこのごろ聞かずて朕あれ恋ひにけり



志斐嫗が和こたへ奉まつれる歌一首

0237 いなと言へど語れ語れと詔のらせこそ志斐いは奏まをせ強語と言のる



長忌寸意吉麻呂ながのいみきおきまろが詔みことのりを応うけたまはりてよめる歌一首

0238 大宮の内まで聞こゆ網引あびきすと網子あこ調ととのふる海人の呼び声

右一首。




長皇子の猟路野かりぢぬに遊猟みかりしたまへる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首、また短歌みじかうた

0239 やすみしし 我が大王おほきみ 高光る 我が日の皇子の
   馬並なめて 御狩立たせる 若薦わかこもを 猟路の小野に
   獣ししこそは い匍ひ拝をろがめ 鶉こそ い匍ひ廻もとほれ
   獣ししじもの い匍ひ拝をろがみ 鶉なす い匍ひ廻もとほり
   畏かしこみと 仕へまつりて 久かたの 天あめ見るごとく
   真澄鏡まそかがみ 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大王かも

反し歌一首

0240 ひさかたの天行く月を綱つなに刺し我が大王は蓋きぬかさにせり

或ル本ノ反歌一首

 0241 皇おほきみは神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも



弓削皇子ゆげのみこの吉野よしぬに遊いでませる時の御歌一首

0242 滝たぎの上への三船の山にゐる雲の常にあらむと我が思もはなくに

或ル本ノ歌一首

 0244 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思もはなくに

右ノ一首ハ、柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出デタリ。



春日王かすがのおほきみの和へ奉れる歌一首

0243 王おほきみは千歳に座まさむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや



長田王ながたのおほきみの筑紫つくしに遣はされ水島を渡りたまふ時の歌二首ふたつ

0245 聞きし如まこと貴く奇くすしくも神かむさびますかこれの水島

0246 葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ



石川大夫いしかはのまへつきみが和ふる歌一首

0247 沖つ波辺波へなみ立つとも我が背子が御船の泊とまり波立ためやも



又長田王のよみたまへる歌一首

0248 隼人はやひとの薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも吾あれは今日見つるかも



柿本朝臣人麻呂が覊旅たびの歌八首やつ

0249 御津の崎波を恐かしこみ隠江こもりえの船寄せかねつ野島ぬしまの崎に

0250 玉藻刈る敏馬みぬめを過ぎ夏草の野島の崎に舟近づきぬ

0251 淡路の野島の崎の浜風に妹が結べる紐吹き返す

0252 荒布あらたへの藤江の浦に鱸すずき釣る海人とか見らむ旅行く吾あれを

0253 稲日野いなびぬも行き過ぎかてに思へれば心恋こほしき加古の島見ゆ

0254 燭火ともしびの明石大門おほとに入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず

0255 天ざかる夷ひなの長道ながちゆ恋ひ来れば明石の門とより大和島見ゆ

0256 飼飯けひの海の庭よくあらし苅薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船

一本ニ云ク、

    武庫むこの海の船にはあらし漁いざりする海人の釣船波の上へゆ見ゆ



鴨君足人かものきみたりひとが香具山の歌一首、また短歌

0257 天降あもりつく 天あめの香具山 霞立つ 春に至れば
   松風に 池波立ちて 桜花 木晩このくれ茂み
   沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ方へに あぢ群むら騒き
   ももしきの 大宮人の 退まかり出て 遊ぶ船には
   楫棹かぢさをも なくて寂さぶしも 榜ぐ人なしに

反し歌二首

0258 人榜がず有らくも著しるし潜かづきする鴛鴦をしと沈鳧たかべと船の上へに棲む

0259 いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔むすまでに

或ル本ノ歌ニ云ク

 0260 天降りつく 神の香具山 打ち靡く 春さり来れば
    桜花 木晩茂み 松風に 池波立ち
    辺つ方は あぢ群騒き 沖辺は 鴨妻呼ばひ
    ももしきの 大宮人の 退り出て 榜ぎにし船は
    棹楫さをかぢも なくて寂しも 榜がむと思もへど



柿本朝臣人麻呂が新田部皇子にひたべのみこに献れる歌一首、また短歌

0261 やすみしし 我が大王 高光る 日の皇子
   敷き座ます 大殿の上へに 久方の 天伝あまづたひ来る
   雪じもの 往き通ひつつ いや重しき座いませ

反し歌一首

0262 矢釣やつり山木立も見えず降り乱る雪に騒きて参らくよしも



刑部垂麿おさかべのたりまろが近江国より上来まゐのぼる時よめる歌一首

0263 吾あが馬まいたく打ちてな行きそ日け並べて見ても我が行く志賀にあらなくに



柿本朝臣人麻呂が近江国より上来る時、宇治河うぢかはの辺ほとりに至りてよめる歌一首

0264 物部もののふの八十やそ宇治川の網代木あじろきにいさよふ波の行方知らずも



長忌寸奥麻呂が歌一首

0265 苦しくも降り来る雨か神かみの崎狭野の渡りに家もあらなくに



柿本朝臣人麻呂が歌一首

0266 淡海あふみの海み夕波千鳥汝なが鳴けば心もしぬに古いにしへ思ほゆ



志貴皇子の御歌一首

0267 むささびは木末こぬれ求むと足引の山の猟師さつをに逢ひにけるかも



長屋王の故郷ふるさとの歌一首

0268 我が背子が古家ふるへの里の明日香には千鳥鳴くなり君待ちかねて



阿倍女郎あべのいらつめが屋部坂やべさかの歌一首

0269 忍しぬひなば我が袖もちて隠さむを焼けつつかあらむ着ずて坐ましけり



高市連黒人が覊旅たびの歌八首\n
0270 旅にして物恋こほしきに山下の朱あけの赭土船そほぶね沖に榜ぐ見ゆ

0271 作良さくら田へ鶴たづ鳴き渡る年魚市潟あゆちがた潮干にけらし鶴鳴き渡る

0272 四極しはつ山打ち越え見れば笠縫かさぬひの島榜ぎ隠る棚無小舟たななしをぶね

0273 磯の崎榜ぎ廻たみ行けば近江の海み八十の水門みなとに鶴さはに鳴く

0274 我が船は比良ひらの湊に榜ぎ泊はてむ沖へな離さかりさ夜更けにけり

0275 いづくに吾あは宿らなむ高島の勝野の原にこの日暮れなば

0276 妹も我あれも一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる

一本、黒人ガ妻ノ答フル歌ニ云ク、\n
   三河なる二見の道ゆ別れなば我が背も吾あれも独りかも行かむ

0277 早来ても見てましものを山背やましろの高槻の村*散りにけるかも



石川女郎いしかはのいらつめが歌一首

0278 志賀しかの海女は昆布め苅り塩焼き暇いとま無み髪梳くしげの小櫛をくし取りも見なくに



高市連黒人が歌二首\n
0279 我妹子わぎもこに猪名野ゐなぬは見せつ名次なすぎ山角つぬの松原いつか示さむ

0280 いざ子ども大和へ早く白菅しらすげの真野まぬの榛原はりはら手折たをりて行かむ

黒人が妻めの答ふる歌一首\n
0281 白菅の真野の榛原往くさ来くさ君こそ見らめ真野の榛原



春日蔵首老かすがのくらびとおゆが歌一首

0282 つぬさはふ磐余いはれも過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ



高市連黒人が歌一首\n
0283 住吉すみのえの得名津えなつに立ちて見渡せば武庫の泊ゆ出づる船人ふなひと



春日蔵首老が歌一首

0284 焼津辺やきづへに吾あが行きしかば駿河なる阿倍の市道いちぢに逢ひし子らはも



丹比真人笠麻呂が、紀伊国に往き、勢せの山を超ゆる時よめる歌一首

0285 栲領巾たくひれの懸けまく欲しき妹の名をこの勢の山に懸けばいかにあらむ

春日蔵首老が即ち和ふる歌一首

0286 よろしなべ吾あが背の君が負ひ来にしこの勢の山を妹とは呼ばじ



志賀しがに幸いでませる時、石上いそのかみの卿まへつきみのよみたまへる歌一首

0287 ここにして家やも何処いづく白雲の棚引く山を越えて来にけり



穂積朝臣老ほづみのあそみおゆが歌一首

0288 我が命のま幸さきくあらば亦も見む志賀の大津に寄する白波



間人宿禰大浦はしひとのすくねおほうらが初月みかつきの歌二首

0289 天の原振り放け見れば白しら真弓張りて懸けたり夜道は行かむ

0290 倉椅くらはしの山を高みか夜隠よこもりに出で来る月の光乏ともしき



小田事主をだのことぬしが勢の山の歌一首

0291 真木の葉のしなふ勢の山偲はずて吾あが越え行けば木の葉知りけむ



録兄麻呂ろくのえまろ*が歌四首よつ

0292 久方の天あまの探女さぐめが岩船の泊てし高津は浅あせにけるかも

0293 潮干しほひの御津の海女の藁袋くぐつ持ち玉藻苅るらむいざ行きて見む

0294 風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣船浜に帰りぬ

0295 住吉すみのえの岸の松原遠つ神我が王おほきみの幸行処いでましところ



田口益人大夫たくちのますひとのまへつきみが上野かみつけぬの国司くにのみこともちに任まけらるる時、駿河国浄見埼きよみのさきに至りてよめる歌二首

0296 廬原いほはらの清見が崎の三穂の浦のゆたけき見つつ物思もひもなし

0297 昼見れど飽かぬ田子の浦大王の命みこと畏み夜見つるかも



辨基べむきが歌一首

0298 真土山夕越え行きて廬前いほさきの角太川原すみだがはらに独りかも寝む



大納言おほきものまをすつかさ大伴の卿まへつきみの歌一首

0299 奥山の菅すがの葉凌しぬぎ降る雪の消けなば惜しけむ雨な降りそね



長屋王の馬を寧樂なら山に駐とどめてよみたまへる歌二首

0300 佐保過ぎて寧樂の手向たむけに置く幣ぬさは妹を目離かれず相見しめとそ

0301 岩が根の凝重こごしく山を越えかねて哭ねには泣くとも色に出でめやも



中納言なかのものまをすつかさ安倍廣庭あべのひろにはの卿の歌一首

0302 子らが家道やや間遠まとほきをぬば玉の夜渡る月に競きほひあへむかも



柿本朝臣人麻呂が筑紫国に下れる時、海路うみつぢにてよめる歌二首

0303 名ぐはしき印南いなみの海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は

0304 大王の遠の朝廷みかどとあり通かよふ島門しまとを見れば神代し思ほゆ



高市連黒人の近江の旧き都の歌一首\n
0305 かく故に見じと言ふものを楽浪ささなみの旧き都を見せつつもとな



伊勢国に幸いでませる時、安貴王あきのおほきみのよみたまへる歌一首

0306 伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家苞いへづとにせむ



博通法師はくつうほうしが紀伊国に往きて三穂の石室いはやを見てよめる歌三首

0307 はた薄すすき久米の若子わくごが座いましけむ三穂の石室は荒れにけるかも

0308 常磐なす石室は今も在りけれど住みける人そ常なかりける

0309 石室戸いはやとに立てる松の樹汝なを見れば昔の人を相見るごとし



門部王かどべのおほきみの東ひむがしの市の樹を詠みたまへる作歌うた一首

0310 東の市の植木の木垂こだるまで逢はず久しみうべ恋ひにけり



按作村主益人くらつくりのすくりますひとが豊前国とよくにのみちのくちより京みやこに上まゐのぼる時よめる歌一首

0311 梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋こほしけむかも



式部卿のりのつかさのかみ藤原宇合ふぢはらのうまかひの卿に、難波の堵みやこを改め造らしめたまへる時よめる歌一首

0312 昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都と都びにけり



土理宣令とりのせむりやうが歌一首

0313 み吉野の滝たぎの白波知らねども語りし継げば古思ほゆ



波多朝臣少足はたのあそみをたりが歌一首

0314 小波さざれなみ礒越道いそこせぢなる能登瀬川音の清さやけさ激たぎつ瀬ごとに



暮春之月やよひばかり、芳野の離宮とつみやに幸せる時、中納言大伴の卿の勅みことのりを奉うけたまはりてよみたまへる歌一首、また短歌 奏上ヲ逕ヘザル歌

0315 み吉野の 吉野の宮は 山柄やまからし 貴くあらし
   川柄かはからし 清けくあらし 天地と 長く久しく
   万代に 変らずあらむ 行幸いでましの宮

反し歌

0316 昔見し象きさの小川を今見ればいよよ清けく成りにけるかも



山部宿禰赤人が不盡山ふじのやまを望みてよめる歌一首、また短歌

0317 天地あめつちの 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴たふとき
   駿河なる 富士の高嶺たかねを 天あまの原 振り放さけ見れば
   渡る日の 影も隠かくろひ 照る月の 光も見えず
   白雲しらくもも い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
   語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡ふじの高嶺たかねは

反し歌

0318 田子たこの浦ゆ打ち出でて見れば真白くそ*不盡の高嶺に雪は降りける



不盡山を詠める歌一首、また短歌

0319 なまよみの 甲斐の国 打ち寄する 駿河の国と
   此方此方こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 不盡ふじの高嶺たかねは
   天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 翔とびも上のぼらず
   燃ゆる火を 雪もち滅けち 降る雪を 火もち消ちつつ
   言ひもかね 名付けも知らに 霊くすしくも 座います神かも
   石花海せのうみと 名付けてあるも その山の 堤つつめる海ぞ
   不盡川と 人の渡るも その山の 水の溢たぎちぞ
   日の本の 大和の国の 鎮しづめとも 座す神かも
   宝とも なれる山かも 駿河なる 不盡ふじの高嶺たかねは 見れど飽かぬかも

反し歌

0320 不盡の嶺に降り置ける雪は六月みなつきの十五日もちに消けぬればその夜降りけり

0321 富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかり棚引くものを

右ノ一首ハ、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出タリ。類ヲ以テ此ニ載ス。



山部宿禰赤人が伊豫温泉いよのゆに至ゆきてよめる歌一首、また短歌

0322 皇神祖すめろきの 神の命みことの 敷き座ます 国のことごと
   湯はしも 多さはにあれども 島山の 宣しき国と
   凝々こごしかも 伊豫の高嶺の 射狭庭いざにはの 岡に立たして
   歌思ひ 辞こと思はしし み湯の上への 木群こむらを見れば
   臣木おみのきも 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず
   遠き代に 神さびゆかむ 行幸処いでましところ

反し歌

0323 ももしきの大宮人の熟田津にきたづに船ふな乗りしけむ年の知らなく\n


神岳かみをかに登りて山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0324 三諸みもろの 神名備山かむなびやまに 五百枝いほえさし 繁しじに生ひたる
   栂つがの木の いや継ぎ嗣ぎに 玉葛たまかづら 絶ゆることなく
   ありつつも 止まず通はむ 明日香の 旧ふるき都は
   山高み 川透白とほしろし
   春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清さやけし
   朝雲に 鶴たづは乱れ 夕霧に かはづは騒ぐ
   見るごとに 哭ねのみし泣かゆ 古いにしへ思へば

反し歌

0325 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに



門部王の難波に在いまして、漁父あまの燭光いざりひを見てよみたまへる歌一首

0326 見渡せば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく



或る娘子をとめ等、乾鰒ほしあはびを包めるを、通觀僧つぐわむほうしに贈りて、戯たはれに咒願かしりを請ふ時、通觀がよめる歌一首

0327 海わたつみの沖に持ち行きて放つとも如何うれむぞこれが蘇りなむ



太宰少弐おほみこともちのすなきすけ小野老朝臣をぬのおゆのあそみが歌一首

0328 青丹よし寧樂の都は咲く花の薫にほふがごとく今盛りなり



防人司佑さきもりのつかさのまつりごとひと大伴四綱よつなが歌二首

0329 やすみしし我が王おほきみの敷き座ませる国の中なる都し思ほゆ

0330 藤波の花は盛りに成りにけり平城ならの都を思ほすや君



帥かみ大伴の卿の歌五首

0331 吾あが盛りまた変若をちめやも殆ほとほとに寧樂の都を見ずかなりなむ

0332 我が命も常にあらぬか昔見し象きさの小川を行きて見むため

0333 浅茅原つばらつばらに物思もへば故りにし郷さとし思ほゆるかも

0334 萱草わすれぐさ我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れぬがため

0335 我が行ゆきは久にはあらじ夢いめの曲わだ瀬とは成らずて淵にありこそ



沙弥満誓さみのまむぜいが綿を詠める歌一首

0336 しらぬひ筑紫の綿は身に付けて未だは着ねど暖けく見ゆ



山上臣憶良やまのへのおみおくらが宴より罷まかるときの歌一首

0337 憶良らは今は罷らむ子泣くらむ其そも彼その母も吾あを待つらむそ



太宰帥おほみこともちのかみ大伴の卿の酒を讃めたまふ歌十三首とをまりみつ

0338 験しるしなき物を思もはずは一坏ひとつきの濁れる酒を飲むべくあらし

0339 酒の名を聖ひじりと負ほせし古の大き聖の言の宣しさ

0340 古の七の賢さかしき人たちも欲ほりせし物は酒にしあらし

0341 賢しみと物言はむよは酒飲みて酔哭ゑひなきするし勝りたるらし

0342 言はむすべ為むすべ知らに極りて貴き物は酒にしあらし

0343 中々に人とあらずは酒壷さかつぼに成りてしかも酒に染みなむ

0344 あな醜みにく賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む

0345 価あたひなき宝といふとも一坏の濁れる酒に豈あに勝らめや

0346 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るに豈及しかめやも

0347 世間よのなかの遊びの道に洽あまねきは酔哭するにありぬべからし

0348 今代このよにし楽たぬしくあらば来生こむよには虫に鳥にも吾あれは成りなむ

0349 生まるれば遂にも死ぬるものにあれば今生このよなる間は楽しくを有らな

0350 黙然もだ居りて賢しらするは酒飲みて酔泣するになほ及かずけり



沙弥満誓が歌一首

0351 世間よのなかを何に譬へむ朝開き榜ぎにし船の跡なきごとし



若湯座王わかゆゑのおほきみの歌一首

0352 葦辺あしへには鶴たづが哭ね鳴きて湊風寒く吹くらむ津乎つをの崎はも



釋通觀ほうしつぐわむが歌一首

0353 み吉野の高城たかきの山に白雲は行きはばかりて棚引けり見ゆ



日置少老へきのをおゆが歌一首

0354 繩なはの浦に塩焼く煙けぶり夕されば行き過ぎかねて山に棚引く



生石村主真人おふしのすくりまひとが歌一首

0355 大汝おほなむぢ少彦名すくなびこなの座いましけむ志都しつの石室いはやは幾代経ぬらむ



上古麻呂かみのふるまろが歌一首

0356 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬の清さやけかるらむ



山部宿禰赤人が歌六首

0357 繩の浦ゆ背向そがひに見ゆる沖つ島榜ぎ廻たむ舟は釣しすらしも

0358 武庫の浦を榜ぎ廻む小舟をぶね粟島を背向に見つつ羨ともしき小舟

0359 阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのごろ大和し思ほゆ

0360 潮干なば玉藻苅り籠め家の妹もが浜苞はまつと乞はば何を示さむ\n
0361 秋風の寒き朝開あさけを狭野さぬの岡越ゆらむ君に衣貸さましを

0362 雎鳩みさご居る磯廻いそみに生ふる名乗藻なのりその名は告のらしてよ親は知るとも\n
或ル本ノ歌ニ曰ク

 0363 雎鳩居る荒磯に生ふる名乗藻のよし名は告らせ親は知るとも\n


笠朝臣金村が鹽津しほつ山にてよめる歌二首

0364 大夫ますらをの弓末ゆすゑ振り起こし射つる矢を後見む人は語り継ぐがね

0365 鹽津山打ち越え行けば我あが乗れる馬ぞ躓く家恋ふらしも\n


角鹿津つぬがのつにて船に乗れる時、笠朝臣金村がよめる歌一首、また短歌みじかうた\n
0366 越の海の 角鹿の浜ゆ 大舟に 真楫まかぢ貫ぬき下ろし
   勇魚いさな取り 海路うみぢに出でて 喘あべきつつ 我が榜ぎ行けば
   大夫ますらをの 手結たゆひが浦に 海未通女あまをとめ 塩焼く炎けぶり
   草枕 旅にしあれば 独りして 見る験しるし無み
   海神わたつみの 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を

反し歌

0367 越の海の手結の浦を旅にして見れば羨ともしみ大和偲ひつ



石上大夫いそのかみのまへつきみが歌一首

0368 大船に真楫まかぢ繁しじ貫き大王の命畏み磯廻するかも



和ふる歌一首

0369 物部もののふの臣おみの壮士をとこは大王の任まけの随まにまに聞くといふものぞ

右、作者審カナラズ。但シ笠朝臣金村ノ歌集ノ中ニ出デタリ。



安倍廣庭の卿の歌一首

0370 小雨降り*との曇ぐもる夜を濡れ湿ひづと恋ひつつ居りき君待ちがてり



出雲守いづものかみ門部王かどべのおほきみの京みやこを思しぬひたまふ歌一首

0371 飫宇おうの海の河原の千鳥汝なが鳴けば我が佐保川さほかはの思ほゆらくに



山部宿禰赤人が春日野かすがぬに登りてよめる歌一首、また短歌

0372 春日はるひを 春日かすがの山の 高座たかくらの 御笠の山に
   朝さらず 雲居たなびき 容鳥かほとりの 間なく屡しば鳴く
   雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに
   昼はも 日のことごと 夜よるはも 夜よのことごと
   立ちて居て 思ひぞ吾あがする 逢はぬ子故に

反し歌

0373 高座の三笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも



石上乙麻呂朝臣いそのかみのおとまろのあそみの歌一首

0374 雨降らば着なむと思もへる笠の山人にな着しめ濡れは漬ひづとも



湯原王ゆはらのおほきみの芳野にてよみたまへる歌一首

0375 吉野なる夏実なつみの川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山影にして



湯原王の宴の席ときの歌二首

0376 蜻蛉羽あきづはの袖振る妹を玉くしげ奥に思ふを見たまへ我君わぎみ

0377 青山の嶺の白雲朝に日けに常に見れどもめづらし我君わぎみ



山部宿禰赤人が、贈おひてたまへる太政大臣おほきまつりごとのおほまへつきみの藤原の家の山池いけを詠める歌一首

0378 昔看みし旧き堤は年深み池の渚に水草みくさ生ひにけり



大伴坂上郎女おほとものさかのへのいらつめが祭神かみまつりの歌一首、また短歌

0379 久かたの 天の原より 生あれ来こし 神の命
   奥山の 賢木さかきの枝に 白紙しらが付く 木綿ゆふ取り付けて
   斎瓮いはひへを 斎ひ掘り据ゑ 竹玉たかたまを 繁しじに貫ぬき垂り
   獣ししじもの 膝折り伏せ 手弱女たわやめの 襲おすひ取り懸け
   かくだにも 吾あれは祈こひなむ 君に逢はぬかも

反し歌

0380 木綿畳ゆふたたみ手に取り持ちてかくだにも吾あれは祈ひなむ君に逢はぬかも

右ノ歌ハ、天平五年冬十一月ヲ以テ、大伴ノ氏ノ神ニ供ヘ祭ル時、聊カ此歌ヲ作ル。故レ祭神歌ト曰フ。



筑紫娘子つくしをとめが行旅たびゆきひとに贈れる歌一首 娘子、字ヲ兒島ト曰フ

0381 家思もふと心進むな風伺かぜまもり好くして行いませ荒きその路



筑波岳つくはねに登りて、丹比真人国人たぢひのまひとくにひとがよめる歌一首、また短歌

0382 鶏が鳴く 東あづまの国に 高山は 多さはにあれども
   双神ふたかみの 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と
   神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を
   冬こもり 時じく時と 見ずて行かば まして恋こひしみ
   雪消ゆきけする 山道すらを なづみぞ吾あが来こし

反し歌

0383 筑波嶺を外よそのみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来けるかも



山部宿禰赤人が歌一首

0384 我が屋戸に韓藍からゐ蒔き生おほし枯れぬれど懲りずて亦も蒔かむとそ思もふ



仙柘枝ひじりのつみのえの歌三首

0385 霰降り吉志美きしみが岳たけを険さがしみと草取りかねて妹が手を取る

右ノ一首ハ、或ルヒト云ク、吉野ノ人味稲ウマシネノ柘枝仙媛ニ与フル歌ナリ。

0386 この夕へ柘つみのさ枝の流れ来こば梁やなは打たずて取らずかもあらむ

右一首。

0387 古に梁打つ人の無かりせばここにもあらまし柘の枝はも

右ノ一首ハ、若宮年魚麻呂ワカミヤノアユマロガ作。



羇旅たびの歌一首、また短歌

0388 海神わたつみは 霊あやしきものか 淡路島 中に立て置きて
   白波を 伊豫に回もとほし 居待月ゐまちつき 明石の門ゆは
   夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干ひしむ
   潮騒の 波を恐み 淡路島 磯隠いそがくり居て
   いつしかも この夜の明けむ と侍さもらふに 眠いの寝かてねば
   滝たぎの上への 浅野の雉きぎし 明けぬとし 立ち動とよむらし
   いざ子ども あべて榜ぎ出む 庭も静けし

反し歌

0389 島伝ひ敏馬みぬめの崎を榜ぎ廻ためば大和恋こほしく鶴多さはに鳴く

右ノ歌ハ、若宮年魚麻呂之ヲ誦メリ。但シ作者ヲ審ラカニセズ。



譬喩歌たとへうた



紀皇女きのひめみこの御歌一首

0390 輕の池の浦廻うらみ廻もとほる鴨すらも玉藻の上に独り寝なくに



筑紫観世音寺造りの別当かみ沙弥満誓が歌一首

0391 鳥総とぶさ立て足柄山に船木ふなき伐り木に伐り去ゆきつあたら船木を



太宰大監おほみこともちのおほきまつりごとひと大伴宿禰百代が梅の歌一首

0392 ぬば玉のその夜の梅を手た忘れて折らず来にけり思ひしものを



満誓沙弥まむぜいさみが月の歌一首

0393 見えずとも誰たれ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外よそに見てしか



金明軍こむのみやうぐむが歌一首

0394 標しめ結ひて我が定めてし住吉すみのえの浜の小松は後も我が松



笠郎女かさのいらつめが大伴宿禰家持おほとものすくねやかもちに贈れる歌三首

0395 託馬野つくまぬに生ふる紫草むらさき衣ころも染しめ未だ着ずして色に出でにけり

0396 陸奥みちのくの真野まぬの草原かやはら遠けども面影にして見ゆちふものを

0397 奥山の磐本菅いはもとすげを根深めて結びし心忘れかねつも



藤原朝臣八束やつかが梅の歌二首

0398 妹が家へに咲きたる梅の何時も何時も成りなむ時に事は定めむ

0399 妹が家へに咲きたる花の梅の花実にし成りなばかもかくもせむ



大伴宿禰駿河麻呂するがまろが梅の歌一首

0400 梅の花咲きて散りぬと人は言へど我が標結ひし枝ならめやも



大伴坂上郎女が、親族うがらと宴する日、吟うたへる歌一首

0401 山守やまもりのありける知らにその山に標結ひ立てて結ゆひの恥しつ

大伴宿禰駿河麻呂が即ち和ふる歌一首

0402 山守は蓋けだしありとも我妹子わぎもこが結ひけむ標を人解かめやも



大伴宿禰家持が同じ坂上さかのへの家の大嬢おほいらつめに贈れる歌一首

0403 朝に日けに見まく欲しけきその玉を如何にしてかも手ゆ離かれざらむ



娘子をとめが佐伯宿禰赤麿に報こたふる贈歌うた一首

0404 ちはやぶる神の社やしろし無かりせば春日の野辺に粟蒔かましを



佐伯宿禰赤麿がまた贈れる歌一首

0405 春日野に粟蒔けりせば鹿しし待ちに継ぎて行かましを社し有りとも



娘子がまた報ふる歌一首

0406 吾あは祭る神にはあらず大夫ますらをに憑きたる神ぞよく祭るべき



大伴宿禰駿河麻呂が同じ坂上の家の二嬢おといらつめを娉つまどふ歌一首

0407 春霞はるかすみ春日の里の殖小水葱うゑこなぎ苗なりと言ひし枝えはさしにけむ



大伴宿禰家持が同じ坂上の家の大嬢に贈れる歌一首

0408 石竹なでしこがその花にもが朝旦あさなさな手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ



大伴宿禰駿河麻呂が同じ坂上の家の二嬢おといらつめに贈れる歌一首

0409 一日には千重波敷きに思へどもなぞその玉の手に巻き難き



大伴坂上郎女が橘の歌一首

0410 橘を屋戸に植ゑ生おほせ立ちて居て後に悔ゆとも験しるしあらめやも



大伴宿禰駿河麻呂が和ふる歌一首

0411 我妹子が屋戸の橘いと近く植ゑてし故に成らずは止まじ



市原王いちはらのおほきみの歌一首

0412 頂いなだきに著統きすめる玉は二つ無しかにもかくにも君がまにまに



某それの歌二首

0436 人言ひとごとの繁きこの頃玉ならば手に巻き持ちて恋ひざらましを

0437 妹も吾あれも清御きよみの川の川岸の妹が悔ゆべき心は持たじ



大網公人主おほあみのきみひとぬしが宴に吟うたへる歌一首

0413 須磨の海人の塩焼衣しほやききぬの藤衣ふぢころも間遠くしあれば未だ着馴れず



大伴宿禰家持が歌一首

0414 足引の岩根こごしみ菅すがの根を引かば難かたみと標のみそ結ふ



挽歌かなしみうた



上宮聖徳皇子うへのみやのしやうとこのみこの竹原井たかはらゐに出遊いでませる時、龍田山に死みまかれる人を見みそなはして悲傷かなしみよみませる御歌一首

0415 家にあらば妹が手纏まかむ草枕旅に臥こやせるこの旅人たびとあはれ



大津皇子の被死つみなはえたまへる時、磐余いはれの池の陂つつみにて流涕かなしみよみませる御歌一首

0416 つぬさはふ*磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

右、藤原宮、朱鳥元年冬十月。



河内王かはちのおほきみを豊前国とよくにのみちのくち鏡山に葬はふれる時、手持女王たもちのおほきみのよみたまへる歌三首

0417 王おほきみの親魄むつたまあへや豊国の鏡の山を宮と定むる

0418 豊国の鏡の山の石戸いはと闔たて隠こもりにけらし待てど来まさぬ

0419 石戸破わる手力たぢからもがも手弱たわやき女めにしあればすべの知らなく



石田王いはたのおほきみの卒うせたまへる時、丹生王にふのおほきみのよみたまへる歌一首、また短歌

0420 なゆ竹の 嫋とを寄る皇子 さ丹頬にづらふ 我が大王おほきみは
   隠国こもりくの 初瀬の山に 神さびて 斎いつき坐いますと
   玉づさの 人ぞ言ひつる 妖言およづれか 吾あが聞きつる
   狂言たはことか 吾あが聞きつるも 天地に 悔しきことの
   世間よのなかの 悔しきことは 天雲の そくへの極み
   天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて
   夕占ゆふけ問ひ 石卜いしうら以ちて 我が屋戸に 御室みもろを建てて
   枕辺に 斎瓮いはひへを据ゑ 竹玉たかたまを 無間しじに貫ぬき垂り
   木綿ゆふたすき 肘かひなに懸けて 天あめなる ささらの小野の
   斎いはひ菅すげ 手に取り持ちて 久かたの 天あまの川原に
   出で立ちて 禊みそぎてましを 高山の 巌いはほの上に 座いませつるかも

反し歌

0421 逆言およづれの狂言たはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる

0422 石上いそのかみ布留ふるの山なる杉群すぎむらの思ひ過ぐべき君にあらなくに



同じ〔石田王卒之〕時、山前王やまくまのおほきみの哀傷かなしみよみたまへる歌一首

0423 つぬさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の
   思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥ほととぎす 来鳴く五月さつきは
   菖蒲あやめぐさ 花橘を 玉に貫き 蘰かづらにせむと
   九月ながつきの しぐれの時は 黄葉もみちばを 折り挿頭かざさむと
   延はふ葛くずの いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて
   通ひけむ 君を明日よは 外よそにかも見む

或ル本ノ反歌二首


 0424 隠国こもりくの泊瀬娘子はつせをとめが手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも


 0425 川風の寒き長谷はつせを嘆きつつ君が歩くに似る人も逢へや



柿本朝臣人麻呂が香具山にて屍みまかれるひとを見て悲慟かなしみよめる歌一首

0426 草枕旅の宿りに誰が夫つまか国忘れたる家待たなくに



田口廣麿が死みまかれる時、刑部垂麻呂おさかべのたりまろがよめる歌一首

0427 百足らず八十やその隈坂くまぢに手向たむけせば過ぎにし人にけだし逢はむかも



土形娘子ひぢかたのをとめを泊瀬山に火葬やきはふれる時、柿本朝臣人麻呂がよめる歌一首

0428 隠国の泊瀬の山の山際やまのまにいさよふ雲は妹にかもあらむ



溺れ死ねる出雲娘子いづもをとめを吉野に火葬やきはふれる時、柿本朝臣人麿がよめる歌二首

0429 山際やまのまゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく

0430 八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ\n


勝鹿かつしかの真間娘子ままをとめが墓を過とほれる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌

0431 古に ありけむ人の 倭文幡しつはたの 帯解き交へて
   臥屋ふせや建て 妻問つまどひしけむ 勝鹿の 真間の手兒名てこなが
   奥津城おくつきを こことは聞けど 真木の葉や 茂みたるらむ
   松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我は 忘らえなくに

反し歌

0432 我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ

0433 勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ



和銅四年よとせといふとし辛亥かのとゐ、三穂の浦を過ぐる時、姓名がよめる歌二首*

0434 風早かざはやの美保の浦廻の白躑躅しらつつじ見れども寂さぶし亡き人思へば

0435 みつみつし久米の若子わかごがい触ふりけむ磯の草根の枯れまく惜しも



神亀じむき五年いつとせといふとし戊辰つちのえたつ、太宰帥大伴の卿の故人すぎにしひとを思恋しぬひたまふ歌三首

0438 愛うつくしき人の纏まきてし敷布しきたへの吾あが手枕を纏く人あらめや

右ノ一首ハ、別去テ数旬ヲ経テ作メル歌。

0439 帰るべき時は来にけり都にて誰が手本たもとをか吾あが枕かむ

0440 都なる荒れたる家に独り寝ば旅にまさりて苦しかるべし

右ノ二首ハ、京ニ向フ時ニ臨近キテ作メル歌。



〔神亀〕六年むとせといふとし己巳つちのとみ、左大臣ひだりのおほまへつきみ長屋王の死つみなへ賜へる後、倉橋部女王くらはしべのおほきみのよみたまへる歌一首

0441 大皇おほきみの命畏み大殯おほあらきの時にはあらねど雲隠り座ます



膳部王かしはでべのおほきみを悲傷かなしめる歌一首

0442 世間よのなかは空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける

右ノ一首ハ、作者ヨミヒト未詳シラズ。



天平てむひやう元年はじめのとし己巳つちのとみ、攝津国つのくにの班田あがちだの史生ふみひと丈部龍麻呂はせつかべのたつまろが自経死わなきし時、判官まつりごとひと大伴宿禰三中みなかがよめる歌一首、また短歌

0443 天雲の 向伏むかふす国の 武士ますらをと 言はえし人は
   皇祖すめろきの 神の御門に 外重とのへに 立ち侍さもらひ
   内重うちのへに 仕へ奉まつり 玉葛 いや遠長く
   祖おやの名も 継ぎ行くものと 母父おもちちに 妻に子どもに
   語らひて 立ちにし日より 足根たらちねの 母の命みことは
   斎瓮いはひへを 前に据ゑ置きて 一手ひとてには 木綿ゆふ取り持ち
   一手には 和細布にきたへ奉まつり 平けく ま幸さきくませと
   天地の 神に祈こひ祷のみ 如何にあらむ 年月日にか
   躑躅花つつじばな にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと
   立ちて居て 待ちけむ人は 王おほきみの 命畏み
   押し照る 難波の国に あら玉の 年経るまでに
   白布しろたへの 衣袖ころもて干さず 朝宵に ありつる君は
   いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を
   露霜の 置きて去いにけむ 時ならずして

反し歌

0444 昨日こそ君は在りしか思はぬに浜松の上への雲に棚引く

0445 いつしかと待つらむ妹に玉づさの言だに告げず去いにし君かも



〔天平〕二年ふたとせといふとし庚午かのえうま冬十二月しはす太宰帥大伴の卿の京みやこに向きて上道みちだちする時によみたまへる歌五首

0446 我妹子が見し鞆之浦とものうらの天木香樹むろのきは常世にあれど見し人ぞなき

0447 鞆之浦の磯の杜松むろのき見むごとに相見し妹は忘らえめやも

0448 磯の上へに根延はふ室の木見し人をいかなりと問はば語り告げむか

右ノ三首ハ、鞆浦ヲ過ル日ニ作メル歌。

0449 妹と来こし敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも

0450 行くさには二人我が見しこの崎を独り過ぐれば心悲しも

右ノ二首ハ、敏馬埼ヲ過ル日ニ作メル歌。



故郷もとの家に還入かへりて即ちよみたまへる歌三首

0451 人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり

0452 妹として二人作りし吾あが山斎しまは木高こだかく繁くなりにけるかも

0453 我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽むせつつ涙し流る



〔天平〕三年みとせといふとし辛未かのとひつじ秋七月ふみつき、大納言大伴の卿の薨うせたまへる時の歌六首むつ

0454 愛はしきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も吾あを召さましを

0455 かくのみにありけるものを萩が花咲きてありやと問ひし君はも

0456 君に恋ひ甚いたもすべ無み葦鶴あしたづの哭のみし泣かゆ朝宵にして

0457 遠長く仕へむものと思へりし君し座まさねば心神こころどもなし

0458 若き子の匍はひ徘徊たもとほり朝夕に哭のみそ吾あが泣く君なしにして

右の五首いつうたは、資人つかひびと金明軍が犬馬の慕心に勝たへず、感緒かなしみを中のべてよめる歌

0459 見れど飽かず座いましし君がもみち葉の移りい去ゆけば悲しくもあるか

右の一首ひとうたは、内礼正うちのゐやのかみ縣犬養宿禰人上あがたのいぬかひのすくねひとかみに勅のりごちて、卿の病を検護せしむ。而して医薬験無く、逝く水留まらず。これに因りて悲慟かなしみて即ち此歌をよめり。



七年ななとせといふとし乙亥きのとのゐ、大伴坂上郎女が尼の理願りぐわむの死去みまかれるを悲嘆かなしみ、よめる歌一首、また短歌

0460 栲綱たくつぬの 新羅しらきの国ゆ 人言ひと