佐藤春夫《秋刀鱼之歌》

北鎌倉の紫


以前和大家讲过的佐藤春夫和谷崎润一郎抢老婆时写的情诗。现代恋爱诗的名作。特点:要念出声。他的汉字注音很有趣。
解说是谁的忘了,反正这点程度的评论,稍微知道一点的人都能写。

秋刀魚(さんま)の歌
佐藤春夫
あはれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆふげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて 女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと云ふにあらずや。

あはれ
秋かぜよ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋かぜよ
いとせめて
證(あかし)せよ、かの一ときの団欒ゆめに非ず と。

あはれ
秋かぜよ
情あらば伝へてよ
夫(つま)に去られざりし妻と
父を失はざりし幼児とに
伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

解説:秋になり、秋刀魚の季節になると、誰もが思い出す詩です。それだけ、万人に愛誦される性質を、この詩は持っていると言えましょう。佐藤氏は先輩として、また親友として、谷崎潤一郎氏と往来していました。その谷崎氏が、一人の娘さえある千代子夫人との仲がうとくなったことから、しぜんに夫人と佐藤氏との間に恋愛感情が発生し、谷崎氏も、二人が結ばれることを望んだのです。ところが谷崎氏の考えが変わって、もう一度夫人との結婚生活をやり直す気になり、相当白熱していた二人は、やむなく恋の思いを捨てなければならない立場に追い込まれました。そのため佐藤氏は、六年間、谷崎夫妻から遠ざかっていなければならなかったのです。その間に作られたのが、この「秋刀魚の歌」です。
千代子夫人はのちに谷崎氏と別れて、佐藤氏と結ばれます。当時ありうべからざることとして世俗の道徳的非難を浴びたこの事件も、当人どうしにとっては、真剣この上もない試練であったことを、思わないわけにいきません。のちに谷崎氏は『蓼食ふ虫』を、佐藤氏は、『この三つのもの』を書いて、この経験を小説化しました。

なつかしく異様な食膳風景
 この詩は、佐藤氏が、もはや希望もなく、千代子夫人に思いを燃やしていたときに書かれたものです。自分は古風な笛を取り出でて哀歌をかなでるのだと、佐藤氏は言っています。冒頭の「あはれ秋風よ」も、『梁塵秘抄』の越前武生に流れていった遊女が、「心あひの風」に都への消息を頼んだり、「吹く風に消息をだにつげばやと思へども」と歌ったりした、古風な発想を響かせているのでしょう。
 第二節は、さんまについての思い出になります。さんまに青い蜜柑の酸をしたたらせて食うのは、佐藤氏の郷里紀州熊野の習慣です。東京では普通、柚子と大根おろしで食べます。その好みを夫人は知って、いつも青みかんを用意したのです。これは当時小田原にあった谷崎家での、主人を欠いた食膳風景ですが、庭にでもみかんの木があって、夫人はもいできたのでしょう。それは異様な風景です。「世のつねならぬ団欒」です。それは、夢かとも思われる、なつかしい風景ですが、その異様な風景の目撃者である秋風に、夢でないと証言せよと、第三節では切々と訴えるのです。

みごとに交錯する叙情と叙事
 第二節に、「人に捨てられんとする人妻」と、「妻にそむかれたる男」(これは、作者自身の破れた結婚の経験を指しているのです)と、「愛うすき父を持ちし女の児」といっていますが、第四節では、境遇が逆転して、「夫に去られざりし妻」と「父を失はざりし幼児」といっています。叙情的な部分と叙事的な部分とが、巧みに交錯して、一つの特有の詩情を形成しているのを、注意しましょう。全体、ヴィオロンのむせび泣きのような、哀傷の深い声調で貫かれています。最後の第五節には、自分の哀傷に対して、ふとわれにかえってような反省があります。
「げにそは問はまほしくをかし」と、自嘲するような調子が出ています。「そが上に熱き涙をしたたらせて」は『伊勢物語』の東下りの段、「皆人かれいひの上に涙落して」が下敷きになっていましょう。
 谷崎氏が、佐藤氏と絶交状態にあった六年間、相手は詩に思いのたけを託して訴えるので弱った、という意味のことを言っていたことがあります。このほか、佐藤氏が夫人への思いを述べた歌は多いのですが、一面から言えば、こういう詩が活字になったことは、千代子夫人にその思いが届くということであり、恋文の代理も勤めていたことになります。そのあからさまな行為が、作者に反省と自嘲とをもたらすことも、あったかと思われます。
 とにかくこの一編は、日本近代の恋愛詩の圧巻というべきものであります。