曾根崎心中之道行

北鎌倉の紫/译、评


此世(このよ)のなごり夜もなごり
死にゝゆく身をたとふれば
あだしが原の道の霜
一足づゝに消えてゆく
夢の夢こそあはれなれ
あれかぞふれば暁(あかつき)の
七つのときが六つなりて
残る一つが今生(こんじゃう)の
鐘のひゞきのきゝをさめ
寂滅為楽(じゃくめつゐらく)とひゞく也(なり)
鐘ばかりかは草も木も
空もなごりと見あぐれば
雲心なき水の音
北斗(ほくと)は冴えて影映る
星の妹背(いもせ)の天(あま)の川(がわ)
梅田(むめだ)の橋を鵲(かささぎ)の
橋とちぎりていつまでも
我とそなたは女夫(めをと)星
かならず添(さ)うとすがりより
二人がなかにふる涙
川の水(み)かさもまさるべし

(訳文)この世の別れ、夜も別れと、死にに行く身をたとえると、あだしが原の墓地の道の霜が一足踏むごとに消えていく、ちょうどそのような夢の中夢のように、はかなく哀れなものである。あれ数えると、暁の七つの鐘が六つなって、残る一つがこの世の鐘の音の聞き納め、寂滅為楽と響くのである。鐘の音ばかりであろうか、草も木も、空も別れと見上げると、雲は無心に浮かび、水も無心に音を立てて流れている。北斗星は冴えて水面に星影を落とし、牽牛織女が妹背を誓う天の川がかかっている。梅田の橋を鵲の橋として契りをこめ、いつまでも、私とあなたは夫婦星、かならず添うとすがりより泣くと、二人の中に落ちる涙に、川の水かさも増すであろう.

先ほど日本語入力できなかったので、返信の形で書き込みさせてもらいます。(原创)

「道行(みちゆき)」、その名前が示すとおり、劇の登場人物がどこかへ移動する道中の場面である。時代物、世話物を問わず、主人公たちが自分の胸中を語るのにもっともふさわしい幕である。特に、心中物では、道行は心中の前に設けられ、主人公の男女がこれから死にに行こうとする気持ちを切切と訴える、クライマックスになっている。物語の劇的な展開がないかわりに、珠玉の名せりふが数多く残っている。
「曽根崎心中」は世話物の草分け的な存在として、近松門左衛門の代表作に数えられている。(私個人としては、むしろ近松の最高峰だと思っている。)とりわけ、その「道行」の巻は文学的完成度が高いことから今でも愛唱されている。(私も古典芸能の版に入れるか、日本文学の版に入れるか、ちょっと迷ったけど。)
整然とした七五調、苦心の枕詞。。。これでもか、これでもか、という過飾の感じがないわけでもないが、本来、舞台劇のために作られた物だから、口承文学の重複と修飾も妥当だといえよう。それで、声を出して朗誦すれば、もっとその真髄がわかるのであろう。

(中译)

日本古典演艺中的“道行”,顾名思义是指剧中人物动身前往某处途中的场景。无论是在古代戏还是近代戏中,都是最适合主人公表达自己心情的一幕。特别是殉情戏里,道行一段设在最后殉情之前,男女主人公哀切地表达自己一步步走向死的心情,成为剧的高潮。由于没有什么曲折的情节,反而留下了无数令人回味的名句。
《曾根崎心中》作为第一部近代戏,被认为是近松门左卫门的代表作。(我个人以为可以算是他最优秀的作品。)尤其是“道行”一段,因其极高的文学价值而被传唱至今。(我刚才也犹豫是该放在雅乐院里还是万叶集里。
工整的五七调、精巧的枕词……当然,不可否认有一种堆砌辞藻的感觉,但本来这就是为舞台演出所做的,用到口头传承文学的重复和修辞也无可厚非。因此,出声地朗读更能体会其中的精髓。